たまゆらなる僕らの想いを



「都会暮らしはどう?」

「うん……なんとか、やれてるかな」


それだけで、ナギは私が何を困難としているのかわかったようで。


「もしかして、まだ苦手なんだ? 人と接するの」


昔の私を思い出し懐かしんでいるのか、優しく眦を下げたナギ。

小さく頷いてみせると「そうか」と、私の頭をポンポンと幼い子をあやすように叩いた。

触れられて、キュ、と胸が恋心に締め付けられる。

ナギは変わらない。

昔もそうだった。

人見知りをする私に、大丈夫だよって笑いながら手を握ってくれていた。

変わらないナギに私は安心し、緊張がほぐれていく。

だから、久しぶりでも私は自分から話すことができた。

コミュニケーションは苦手だけど、中学に入ってからできた親友がいることや、今はその子と一緒に本屋さんでバイトをしていることを。

都会はとても便利だけど、人に溢れた街は、私には少し息苦しく感じることを。

苦笑いする私に、ナギは穏やかな声色で言う。


「もしかしたら、この島にいる間に少しは克服できるかもな」


ここの島民は、心根があったかい人が多いから。

彼の言葉に、私はそうであればいいなと願いつつ首を縦に振った。

直後、鼻がムズムズして。


「っくしゅん」


私は口元を押さえ、くしゃみをした。





「大丈夫か? まさか桜アレルギー?」

「ないと思うけど、やっぱりこの木の花は桜なんだね」

「冬桜だよ。秋から冬に咲く桜で、二回開花するんだ」


だから長い期間咲いているんだと教えてもらい、私は桜にも色々な種類があるのだと感心する。


「アレルギーじゃないなら冷えたのかもな。曇ってきたし、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」


言われて空を見上げると、確かに雲が多くなり、いつのまにか太陽を隠していた。


「ナギは?」


まだ帰らないのかと問いかければ、彼は視線を斜めに下に外して。


「俺は……少し、考えたいことがあるから、まだここにいるよ」

「そう……」


もしかして、ナギは考えごとをする為にひとりになりたくてここにいたのかな。

だとしたら、私はきっと考えごとの邪魔になるだろう。


「あの、それじゃあ──」

「ほら」


別れの言葉を遮り、ナギは自分の首を暖めていた深みのあるワインレッドのマフラーを、私の首元に巻いた。
近くなった距離にドキドキしながら私は頭を振る。


「い、いいよ。ナギが冷えちゃう」

「俺より凛の体の方が大事だろ」


いいから、持って行ってと微笑まれたら断れず。


「ありがとう……」

「どういたしまして」


結局、私はナギのマフラーを借り、危なくない道があるのを教えてもらって桜の木々に囲まれるナギに手を振って別れた。





来た時と同様、きちんとした道らしきものはなく獣道ではあるものの、急な傾斜もなく、私はナギに教えてもらったお地蔵様を目印に歩く。

ヒロに続いて、ナギにもこんなに早く会えたのは幸運だった。

それに、ふたりとも昔とあまり変わってなくて良かった。

もちろん、あの頃の幼さはないけれど、纏う空気というかオーラというか。

言動も含め、ああ、ナギだな、ヒロだなと思えるのが嬉しい。

ただ、わからないのはあの夢だ。

今日見た景色といい、ナギに会えたことといい、もしやこれが予知夢……というものなのだろうかと思い至る。

無性にナギに会いたい、会わなければと思っていたのは、私がナギを好きだから、その想いがそうさせていたのかもしれない。

そう、考えて。

だけど、どうしてなのか、私の心に違和感が残っている。

さっき、ナギといた時はなかったのに。

ナギと別れ、歩き離れるほどに蘇ってきたのは、夢を見た直後の焦燥感。




ざわざわと心が落ち着きをなくし、なぜか頭に浮かぶのは夢の中で私に向かって手を伸ばし、私の名前を呼んでいたナギの姿。

いっそ、次にナギにあったら夢を見たことを告げてみようかと思った時。


「あ!」


私はある重大なことに気づいた。

会えたことを喜ぶばかりですっかり頭から抜けていた。

ナギに連絡先を聞くのを。

今から戻って聞いて来ようと、振り返った私はさらに動揺する。

ナギから借りたマフラーが、いつの間にかなくなっていたのだ。

首から外れた感覚は全くなかったけど、ないということは落としてしまったのだろう。

もうこれは戻れと言われている気がして、私は急ぎ踵を返し、マフラーを探しながら桜の木の野原へと戻った。

──けれど。

どんなに目を凝らして探してもマフラーは見つからず。

戻る途中、すれ違っていないはずなのに、ナギの姿はどこにもなく。

私は首を傾げながら、仕方なく展望台の場所まで引き返したのだった。











やっぱり、ヒロに会ってナギの連絡先を聞くしかなさそうだ。

バスに乗り込んだ私は、民宿を出る前に決めた通り、展望台から天神商店街方面へと移動する。

とりあえず、商店街の近くにあるバス停よりひとつ後のバス停で降りて、住んでいた家の近くを先に歩いてみるつもりだ。

それから、お昼前くらいにヒロのお店を訪ねてみて、可能ならナギの連絡先を聞きたいけど、今日はクリスマスイブだ。

もし忙しそうなら近くの神社を巡って自力で探そう。

というか、よく考えたらナギとヒロは高校三年生で、冬休みは受験の追い込みで忙しいはずだ。

ヒロはお店の手伝いをしつつ勉強もしてるんだろうし、あまり邪魔をしないように気をつけなくちゃ。

ヒロに会ったら。

ナギに会えたら。

そんなことを考えながら目的地に着いた私は、バスを見送ると辺りを見渡した。

私の住んでいた家は、ここから歩いて十分ほど歩いたところにあったらしい。

過去形なのは、すでに取り壊されて、今は空き地になっているからだ。





島に帰る話を母にした時、昔住んでいた家があった付近を見てこようかなと口にした私に母は言った。

『何もないところを見に行ってもつまらないでしょ』と。

確かに、父と共に住んでいた家は残っていないけれど、この町にはたくさんの思い出が残っている。

だってほら、この角を曲がると、生前、父がよく利用していたタバコ屋さんがあるのをなんとなく覚えてる。

田畑の合間に建つ家々は瓦屋根をかぶり、どこか懐かしさを纏う佇まいで。

水田脇の細い道を軽トラックが走るのを目の端で捉えながら、私はやはり既視感を覚えていた。

引っ越してからそれなりに時間を経ているのに、ここは変わらない。

ゆっくりと時間が流れているのではと思うほどに、見覚えのある景色に再会できた。

都会では、季節が移りゆくごとに様変わりする。

去年まであった店が別の店になっていたり、ビルを飾る巨大な看板は、少し見ない間にタレントや商品を変えていて。

それは学校の中でも同じだ。

新商品のお菓子に、流行りのコスメ。

めまぐるしく変わる新しい話題。

昨日まで絶賛されていた何かは、あっという間に別のものに取って代わられ、次第に忘れ去られていく。

その忙しない空気が苦手で、私はずっと都会に馴染めずにいる。





不幸せではないけれど……島でずっと暮らせたら。

そんな考えが過った頃、私は父と住んでいた家があったと思われる空き地に到着した。

そこは、母の言った通りで本当に何もない。

土から雑草が生えているだけで、当時の面影は一切なかった。

それでも、記憶は蘇る。

平屋造りの日本家屋。

玄関の前がガレージスペースで、父の愛車と母が使っていた原付バイクが停まっていたな、とか。

奥には狭いけど庭があって、夏は縁側でスイカを食べたな、とか。

些細なことだけど、それらの懐かしい思い出は、私の心を温めつつもほんのり切なくさせて。

家族で過ごした日々を思い出しながら、しばらく辺りを散歩したのだった。









「着いた……!」


【天神商店街】と書かれた看板を見上げ、私は思わず声を上げる。

実は、タイミング悪くバスに乗りそびれてしまい、次のバスを待つより歩いた方が早そうだったので頑張って歩いたのだけど……。

マップを見ながら最短ルートを辿ってみれば、この通りに出る寸前、心臓破りの坂を登ることになってしまい、その結果。


「の、飲み物……自販機……ベンチ……」


足はクタクタ、喉はカラカラになってしまったのだ。

疲労で重くなった足をどうにか前へと動かして、飲み物と休憩場所を求めて歩いていたら。


「……凛?」


怪訝そうな低い声が聞こえて、俯きかけていた顔を上げる。

視線の先いたのは、これから会いに行こうとしていたヒロだった。

彼は瓶ビールの入ったお酒のケースを足元に下ろすと、「腹でも痛いのか?」と首を傾げる。

よく見れば、ヒロはお店の前掛けをして、彼の背後に設置されている棚にはクリスマスディナーに合いそうなワインやシャンパンといったお酒がズラリと並んでいた。

そして、ヒロの横には【酒】という文字と【あだち】という彼の苗字が書かれたスタンド看板。

どうやらここがヒロのご両親が経営している酒屋さんらしい。

疲れ過ぎて全く気づかなかった。

ヒロが声をかけてくれなければ危うく通り過ぎてしまっていただろう。





「お腹は、大丈夫。ちょっとそこの坂に体力を奪われて……」


説明しながら坂のある方角を指差すと、ヒロは心当たりがあるようで「ああ」と納得してから眉をひそめた。


「みなか屋からならもっと楽なルートがあるだろ」

「その、実は、前に住んでた家の方を見に行ってたんだけど、バス逃しちゃって。歩いた方が早いかなと思ったから地図見ながら進んだら……」

「坂を上るハメになったのか」


苦笑いして頷くと、ヒロは労うように私の頭をポンポンと撫でた。


「お前、原付とかバイクの免許はあるのか?」

「ううん」


首を横に振って答えると、ヒロが「そうか」と声を零す。


「都会は移動手段に困らないから必要ないだろうが、ここじゃ自転車くらいないと不便だ。俺ので良ければ貸すから滞在中使え」

「い、いいよ。ヒロだって使うでしょ?」


確かに不便ではあるけれど、上手くバスの徒歩を駆使すれば移動はできる。

ヒロの厚意は嬉しいけれど、それでヒロが困るのは望まない。

だから思い切り遠慮したのだけど、ヒロは問題ないと口にした。


「俺は高校に入ってからずっとバイクだから自転車はしばらく使ってない。だから気にせず使っていい」


言われて、そういえばと思い出す。

ヒロが昨日、お店のバイクに跨っていたのを。