たまゆらなる僕らの想いを



『でも、そう思い込むほど、お母さんはあなたに不安を与えていたということなんでしょう?』


ため息が吐き出されるのが聞こえて、次いで。


『……この前、おかしくなったのは私の方だと凛に言われて考えたの。正直に言えば、あなたはしっかりしてるからと甘えていたわ』


いつものような、咎めるでもどこか不機嫌そうなものではなく、母の真面目で穏やかな声が語る。


『お父さんが亡くなって。おばあちゃんが亡くなって。凛がいてくれればいいと、そう思ってたけど、寂しかった。ひとりであなたを支えるには、お母さんは弱かった』


吐き出した言葉と同様、母の声色が弱さを滲ませて。


『疲れて、あなたにあたることもあった。そんな自分は好きではなかったから、今日は優しくしようと何度も思って。でも、いつも胸にあるあなたを育てるという責任と不安が私を揺るがして……』


うまく、できなくて。

仕事を理由に、今の彼を理由に、私と向き合うのを避けていたのだと、母は話した。

逃げ道を見つけてしまったのだと。

初めて知った母の本心、葛藤。

悩んでいたのは、私だけじゃなかった。



『本当は、あなたが寂しがってるのも知ってたの。でも、もう中学生だから、もう高校生だからって、大丈夫だと思って……いいえ、思うようにしてた』

「お母さん……わた、し」


何も、考えてなかった。

感謝してるなんて思ってたけど、そこにある母の気苦労をわかってなかった。

どれだけ母が不安を感じてたかなんて、想像もしてなくて。

振り向いてほしくて、自分のことで精一杯で。


「ごめん、なさい」


涙声で震える唇を小さく噛む。


『お母さんこそごめんね、凛。中途半端な母親で。お父さんの苗字も捨てれない、あなたを大切に思ってるのに、上手に愛すこともできない』


大切に思っている。

求めていた言葉を受けて、真っ暗な水底に光が差していく。

愛は見えないから、愛されていることに気づくのは、時に難しい。

愛し方も色んな形があって、言葉で尽くすことが、行動で示すばかりが全てではなくて。



「お母さんっ……ごめ、っなさい……」


私を繋いでいた重い鎖が外れる。


「お母さんの気持ち、何も考えてなくて、 ごめんなさい」

ようやく。

ようやく。

砂を蹴って、光を受けて揺らめく水面を目指せる。


『今話したことは、凛が帰ってきたら伝えるつもりだったの』

「そうだったんだね……」

『とりあえず、島で暮らしたいって話しもあるし、帰ってきたら色々話し合いましょうか』


お互いに、いい方向に進むように。

優しい口調で提案されて。

私は溢れた涙を拭うと熱い息を吐き出し、鼻をすすって頷いた。

電話越しに温かい雰囲氣が漂って、お母さんが『今更だけど、明けましておめでとう』と挨拶してくれて、思い出す。

大切な用件を。


「あ、あの、お母さん。実はお願いがあって」

『だから、島に住みたい話しなら帰ってからよ』

「そうじゃなくて、ナギが、死んじゃうかもしれなくて」


死というフレーズを口にして、凪いだ感情がまた波立っていく。



『ナギ……渚君? 何かあったの?』

「事故に遭って。だから、少しだけ、帰る日を伸ばしたくて」


和解できたばかりでまたワガママ言ったら怒られるかもしれない。

でも、それは最初から覚悟していたことで。

それでも、母の気持ちを知った今は、少しだけ楽な心持ちだった。


「意識が戻らないから、心配なの。もちろん、何週間も休むつもりはなくて、可能な限りでいいから」


だから、お願いします。

スマホを耳に当てたまま、頭を下げる。

もちろん母には見えていないけれど、真剣な気持ちが伝わったのか。

深く長い溜め息が聞こえたあと。


『あなた、渚君のこと好きだったものね。……わかった。学校にも連絡しておく。でも、一週間だけよ』


それ以上はダメ。

もし渚君の意識が戻らなくてもそこで一度帰りなさい。

そう言われて、私は大きく何度も頷いた。

もちろんこれも母には見えない。

見えない代わりに、声で精一杯伝える。


「ありがとう! お母さん!」


そうすれば、母が小さく笑った声がして。


「明けましておめでとう。今年もよろしくお願いします」


私も今更ながらに新年の挨拶を口すると。


『いい年にしましょうね』


希望に満ちた前向きな言葉をくれたのだった。














どうか、ナギが一日も早く目覚めますように。

桜の香りが漂う御霊還りの社で祈った私は、ゆっくりと顔を上げた。

そっと肩の力を抜くと、白い息が舞い上がる。

今日は昨日よりも更に冷え込んでいて、息を吸い込む度に肺から体が冷えていく感じがしていて。

合わせていた手も指先が体温を失い、少しジンジンしてきている。

一昨日までは、寒さを感じると寂しい気持ちになることが多かった。

でも昨日、母と話が出来たおかげで、心はどことなく温かい気がしている。

はぁっと、息を吐き出して心の温もりを移すように手を摩る。

そして、そろそろナギの様子を見に病院に向かおうと踵を返したところで私は目を見張った。


「……なんで……」


ナギが……。


「せっかく会えたのに、どうして泣きそうな顔するんだよ」


来てしまったから。


「だって……体、弱ってきてるのに」


こんな頻繁に体から離れていたら、更に弱ってしまう。



何かひとつでも間違えたら儚く消えてしまいそうな気がして、不安を胸に立ち尽くす私に、ナギは苦笑した。


「心配かけてごめん。……ヒロはどうしてる?」


辺りに視線を走らせながら尋ねるナギ。

喧嘩していても気になるのは、やっぱり互いを大事に思っているからなんだろう。

そうであるなら、私も、大切な幼馴染の為に何かしたくて。


「そのことなんだけど……ちゃんと、ヒロと話し合ってほしくて」


遠慮がちにお願いしてみる。

すると、ナギは「話し合い?」と首を傾けた。


「聞いたの。ナギが事故に遭った時のこと」

「ああ……」


納得がいったのか、でも話し合うつもりはないと言いたげに視線を私から外す。


「とりあえず、次にナギに会ったら連絡しろってヒロに頼まれてるから、いいかな? 」

「ああ、いいぜ」


特に拒むでもなく頷いたナギの視線は太陽が隠れている曇り空へと向かった。

何を想っているのか。

空を仰ぐナギの横でヒロにメッセージを送信する。

返事はすぐにきて、確認した私は視線をナギに戻した。


「ヒロ、今から来るって」

「了解」


答えて、ナギの視線もまた私に戻ってくる。



本当なら、早く体に帰って欲しいところだけど、ここで会えたのを無駄にはしたくなくて。

何より、もう少し一緒にいたいと思ってしまった私は、彼に質問する。


「ナギに聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと?」


私はひとつ頷くと、コートの中から勾玉を引っ張り出した。


「この翡翠の勾玉をつけたナギが、私の夢に出てきたんだけど、その日にナギが事故にあったみたいで」


あの日、夢の中で私を呼んでいたナギ。

風景はこの御霊還りの社と酷似していて、思い出しながら話す今でも不思議な気持ちだ。

ナギは頷くでもなく、静かに私を見つめて話に耳を傾けている。


「ナギも、夢で私と会ったりしてた?」


同時に同じ夢を見ていたということはないだろうか。

普通ならそんなことはあり得ないけど、今のナギの状態を考えたらあり得るのかなとも思えて。

だけど、ナギは軽く肩をすくめる。


「さあ、どうかな。でも、勾玉は対になってるから、片割れを持つお前に知らせたのかも」


何を、と尋ねるように首を傾けると、ナギは柔らかく目を細めて。


「会いたがってるぞーって」


冗談めかすように小さく笑った。

けれど、それもつかの間。

ナギは私にゆっくりと手を伸ばし、瞳に寂しさを滲ませる。



「確かに呼んだんだよ。事故にあって、意識を失う直前に、願ったから」


私たちを見守る桜の木々が、風に揺れて。

触れることなく頬をすり抜けたナギの指の代わりに、花びらがかすめる。


「最後に、凛に会いたいって」


彼の願いに、愛おしそうな色を纏った儚い笑みに、泣きそうになって。

切なさに心を震わせながら、顔を隠すように俯いた時。


「最後にとか、不吉なことを言うな」


連絡していたヒロが到着した。

不機嫌そうに眉間にしわを寄せたヒロは、やはり声しか聞こえてないらしく、探るように視線を動かしている。


「早かったな、お邪魔虫」

「配達、この近くだったんだよ」


からかう口ぶりのナギに、ヒロがそっけなく答えるのを、私は少しハラハラしながら見ていた。


「相変わらずお前は家の手伝いが好きだよな 」

「……俺は、俺のやるべきことを放棄しない」

「それは俺への嫌味かよ?」


……沈黙。



ナギが見えないはずのヒロは、声のする場所から当たりをつけたのか、ナギとうまいこと睨み合っている。

険悪さを深めていく二人を見ていられなくて。

元の二人に戻ってほしくて。

私は、拳を握ると勇気を出して口を開いた。


「わ、私は、二人のことが大好き、です」


チラリチラリと二人に視線を送ると、ナギもヒロも少し驚いたように目を丸くしている。

ナギが「……どうした、急に?」と苦笑して、ヒロはただ白い息を吐き出し私の様子を伺って。

そんな中、優しく降る桜の花びらを手のひらに受けて、私は想いを紡ぐ。


「引っ越ししても、三人で過ごした思い出は私の中で特別だったの。遠く離れてても、うまくいかないことがあっても、ナギとヒロの存在が助けて支えてくれてた。だから、今度は私が二人を助けたい」

「助けるって……」


俺は別にと続けたヒロは、戸惑いつつ視線を足元に落とした。


「二人とも、事故の日のことで苦しそうな顔してるから」


譲れなくてぶつかり合った際に起きた事故という悲劇。

それが二人の心の距離を離して、拗らせてしまった。

本当は、お互いを大切に思ってるのに。

たまゆらなる僕らの想いを

を読み込んでいます