カグムの体勢が崩れた。驚いたハオが手を伸ばしてくるが、その手に矢が掠めた。何事だと頭を上げた彼目掛けて、ふたたび矢が飛び、それは顔面に当たった。
矢じりの先端に括ってある穴あき袋が弾け、中から粉山椒が舞う。ハオが両目を瞑り、苦言を零した。
「くそっ、目つぶしか! 目が痛ぇっ!」
「ハオ! まさかっ」
顔を守るように、両隣の家屋の屋根を見上げるカグムに、甘いとユンジェは声を上げた。不自由な手を無理やり帯に伸ばすと、ぶら下げていた砂袋を掴み、紐を解いて振りまく。
それを避けた彼の手から、手綱が滑り落ちる。
すかさず、懐剣を両手で抜き、カグムに向かって振り上げた。
「ユンジェから離れろ――っ!」
屋根の上にいたティエンが、カグム目掛けて飛び降りる。
さすがにこれは、ユンジェも驚きの声を上げてしまう。
平屋とはいえ高さはあるのだ。下手したら足を挫かねないというのに、ティエンはカグムを下敷きにして、地上に下り立った。
勇敢なんだか、無謀なんだか、分からない奴である。
「ティエン。無茶するなよな」
「わざと捕まった、ユンジェには言われたくないな」
「俺はお前が助けてくれると信じていたから、安心して捕まったんだよ」
「簡単に言ってくれるよ。走るぞ」
駆け寄って来るティエンが短剣でユンジェの布紐を切ると、腕を引いて走り出す。
しかし。すぐに足を止めると、肩に掛けていた短弓を構え、迷うことなく矢を放った。粉山椒が弾け、追って来るカグムの視界を奪う。
「ふざけた真似ばっかりしてくれるぜ。本当によっ!」
さすがに苛立ちを覚えたのだろう。カグムの口調が荒くなる。それを面白がるティエンは彼に、力いっぱい吐き捨てた。
「覚えとけ。弱い奴ほど、どんな手を使ってでも生き延びようとすることを――私の兄弟は確かに返してもらったぞ、カグム兄さん」
正面から勝てない相手を、わざわざ正面から勝負する馬鹿がどこにいる。
彼はカグムを嫌味ったらしく鼻で笑い、颯爽と大通りへ向かって走る。
そんなティエンに、ユンジェは思わず苦笑いを浮かべた。
「お前、すごく根に持ってたんだな」
「当然だろう。何が兄で、何が生き別れの弟。腹立たしい限りだ」
ティエンが不愉快そうに鼻を鳴らすので、ユンジェは小声で呟いた。
「俺の兄さんなんて、考えなくても一人しかいないじゃん」
「おや? ユンジェ。どうして照れているんだ。私に教えてくれないか?」
「……ティエン、お前って本当に性格が悪い」
今しがた、不機嫌になっていた男が、いたずら気に顔を覗き込んでくるので、低く唸ってしまう。口にするんじゃなかった。