ユンジェは悩んでいた。
当然、それは目覚めた男についてだ。
最初こそ動揺と混乱、そして殺意を向けていた男だが、今は落ち着きを取り戻している。ユンジェが声を掛けても、懐剣を抜くことは無い。
けれども、警戒心を解いたわけでもないようだ。
ユンジェが動きを見せる度、寝台から鋭い眼光で監視してくる。体に触れようものなら、虫を叩き潰す勢いで、手を払ってくるので迂闊に近寄ることもできない。
かと言って、親しみを込めて声を掛ければ、問答無用に物を投げられる。声こそ出ていないが、怒鳴り散らされることも多々であった。
おかげで爺と使っていた広い寝台は、男に占領されてしまい、ユンジェは冷たい床で寝る毎日を送っている。散々だ。
(……天人って、すごく我儘なんだなぁ)
とにかく取り扱いが難しい。
とりわけ頭を悩ませているのは、男の食事であった。
どうやら男には好き嫌いがあるらしく、ユンジェの作った芋の料理には一切手を付けようとしない。
せっかく怪我人が消化しやすいように、芋を粥状にしたり、汁物にしたり、と工夫したのに、男はそれを拒んだ。
汚い物を見るような目で、芋の料理を見るばかりなのだ。
仕方がないので、貴重な米で粥を作ると、それはぺろりと平らげてしまう。
他にも新鮮な川魚や、形の整った甘い果実といった食い物は口にしてくれた。どれもユンジェが苦労して手に入れなければならないものばかり、男は好むのだ。
さすがに、ここまで好き嫌いがあると頭にくる。
ユンジェが普段から口にしているものは汚物で、苦労しなければらないものこそ食い物、とでも言いたいのだろうか。
芋だって立派な食い物だ。具の少ない汁物だって、米代わりの芋粥だって、ユンジェにとってしてみれば、ご馳走に他ならない。
芋さえ収穫できず、木の根や皮をかじることもあるというのに。
本当は米も、新鮮な川魚も、形の整った甘い果実も、ユンジェが食べてしまいたいというのに。
こうなれば、男を追い出すべきだろうか。
助けたことを少々後悔し始めていたユンジェだが、それは難しい話だろう。
なにせ、男は寝台から一歩も動こうとしない。懐剣を傍らに置き、突き上げ戸から外を眺めるばかり。
畑ばかりの景色だというのに、飽きもせず、ぼんやりと見つめることが多い。
男は考え事をしているようだ。
(天に還りたいのかな?)
ユンジェには彼の気持ちが分からない。聞いたところで、睨まれるだけ。
こういう時、会話の有難みを切に感じる。はやく男の声が戻ってくれたら良いのだが。
男の我儘に付き合っていれば、当然、彼の好む食糧は尽きる。
ユンジェは頭を抱えた。芋料理で我慢してもらうのが一番なのだが、癇癪を起こして、暴れられては面倒である。
(はあっ。仕方ない。金を作るか。今日は川魚を獲ってこよう)
ユンジェにできる金稼ぎは、収穫した野菜や薪を売るか、藁でこしらえた筵や縄を売るか、である。
それでは満足に米も買えない。せいぜい二食分、買えれば良い方だろう。
そこで、ユンジェは物々交換に目をつけた。米を得るためには、それ相応の物をこちらも用意するしかない。これが世の理だ。
ある晩、ユンジェは月の訪れと共に身支度をした。
自分が寝るまで、決して寝ない男に「留守をよろしくな」と、声を掛けると、彼は怪訝な顔をする。まるでユンジェを信用していない。
「帰ってきたら、腹いっぱい米を食べさせてやるからな」
やはり信用をしていない。いつものことなので、気にすることなく家を出る。
正直、男のためにここまでする必要性はないのだが、彼を拾ったのはユンジェ自身である。
こうなれば、傷が癒えるまで面倒を看ようではないか。たらふく米を食わせれば、相手も自分を認めるに違いない。
(必ずあの男から、礼の言葉を吐かせてやる。声が出ないなら、頭を下げさせてやる。見てろよ)
ユンジェは半ば自棄になっていた。
「野ウサギか、キツネ。トビらへんが獲れたら幸運だな」
ユンジェは獣を米の物々交換の対象とした。獣ならば、肉にもありつけるし、毛皮や小道具も作れる。交換条件は満たしているだろう。
本当は昼間に狩りに出掛けるべきだろう。
夜は視界が利かない上に、肉食の獣も多い。下手をすれば狩る前に、襲われてしまう可能性だってある。
それでも、ユンジェは夜の狩りを決行した。昼間は大人の狩人や農民が森をうろついており、捕らえた獲物を横取りされる恐れがあるのだ。
それを幾度も経験しているユンジェは、夜の狩りに慣れていた。
横暴な大人に太刀打ちできないと知っているからこそ、頭を働かせる。ただただ生きるのではなく、強く生き抜くために、どうすればいいのか、よく考えるのだ。
ユンジェは夜の森を慎重に、常に警戒心を抱えながら走り回った。
猛毒の蛇はいないか、腹を空かせた狼はいないか、身ぐるみを剥がす夜盗はいないか。こみ上げてくる恐怖を拭いながら。