けれども、農民の身分がとても低い位置にいることは理解できた。
 ティエンの隣に農民が寝ることは、しごく失礼に値するらしい。王族は天に次ぐ、偉い身分なのだろうか?

「では、私とユンジェを平民の天幕に移して頂きたい。何度も申し上げているように、私はこの子と同じく農民の身分。王族ではございません」

 深いため息が聞こえた。あれはわざと、ティエンに聞かせているのだろう。息をつく音が白々しい。

「また、そのような戯言を。周りの混乱を招くような発言はお控え下さいませ」

「戯言? 私は有りの儘に申し上げているだけですよ。貴殿は私を未だに第三王子として扱っているようですが、あれは一年も前に死に絶えた――カグム、貴殿がピンインにとどめを刺した」

 声を上げそうになる。いま、ティエンは何と言った? だって彼はティエンを守る、近衛兵だったはず。なのに、とどめを刺した、とは。

「私はユンジェに拾われ、新たに名前を賜りました。ゆえに、身分はこの子どもと同じ。今さら、王族として接するのは筋違いではございませんか?」

「平民に対する敬語はおやめ下さい。王族の品位が損なわれます」

「果たして、それに何の価値があるのか。一農民として畑仕事をする方が、まだ価値がありますよ」

 まるで話が噛みあわない。
 謂わずも、双方の仲は最悪だ。天幕の内に漂う空気が、どんどん冷たくなっていく。ここだけ真冬のようだ。会話が無くなり、沈黙が訪れる。つらい。

 先に動いたのはカグムだった。

「どう仰られようとも、貴方様を農民として扱うつもりは、毛頭もございません。どうぞ、ユンジェをカグムにお預け下さい。その子どもが王族の誇りを奪っていると言っても、過言ではありません」

 歩み寄る音と、懐剣を抜く音が重なる。
 金属のぶつかり合う高い音に、ユンジェは飛び起きた。目の前でティエンの懐剣と、カグムの護身用の短剣の刃が衝突している。

「ばっ、ばか! ティエン、何しているんだよ! 落ち着け、傷が開くぞ!」

 慌てて体に縋るが、ティエンの目はカグムしか捉えていない。

「ユンジェに触れてみろ。その喉を切り裂いてやる」

「これは驚きました。私の腕を知りながら、剣を抜くとは。一年見ない間に、ずいぶんと勇猛な男になられましたね」

 あの頃は、周囲の顔色を窺うばかりの木偶(でく)(ぼう)だったというのに。一笑を零すカグムが短剣を押す。

「この子は今の私にとって、たった一人の大切な繋がり。貴様なんぞに預けると思うか。カグムっ! 今さら間諜に成り下がり、何を肚の内に隠しているっ!」

 ティエンも懐剣を押した。

 ぶつかり合う二つの刃が、かちかち、かちかち、と音を鳴らす。

 押し合う力が拮抗している。
 いや、ティエンの方がやや劣勢だ。彼の力では、カグムの短剣を押し返すことは難しい。

 なおも、ティエンの激情が冷めることがない。

「カグム、貴様も見ていたはずだ。我が麟ノ懐剣を抜くユンジェの姿を。それがどういう意味に値するのか、私の近衛兵だった貴様なら知っているはず」

「ええ。だからこそユンジェも大切に『保護』しているのですよ――しかしながら、所詮農民の子。身を弁えて頂きたいのです」

 持ち手に力を入れたカグムが、ティエンの手から懐剣を真上に弾き飛ばす。

「貴方の負けですよ。ピンインさま。私の言葉に耳を傾けて頂けますか?」

 カグムの短剣がティエンに向けられる。

 その瞬間、ユンジェに強い使命が過ぎった。
 所有者が丸腰になってしまった。ああ、守らなければ。突き上げられる感情に流されるがまま宙に飛んだ懐剣を掴むと、カグムの短剣目掛けて振る。

 甲高い音が天幕に響き、真っ二つとなった刃が敷物の上に落ちる。それはまるで、短剣の断末魔のようであった。

(まずい、折っちまった。そんなに力入れてねーんだけど)

 まさか折れるとは思わず。
 我に返ったユンジェは、静まり返る双方を見やり、折れた短剣の刃をそっと拾った。

「えーっと……引き分けでいいか、な?」

 いつまでも沈黙が続いた。