ユンジェが崖を見上げれば、ああ、思った通り、ティエンが麒麟と共に飛び下りてくる。
何をしているのだろうか、この男は。
自分よりも体が軟なくせに、怪我を負っているくせに、守ってくれる味方もいるというのに。
それを置き去りにして自分を追って来るなんて、本当に馬鹿としか言いようがない。
ティエンが手を伸ばしてくる。それを掴むために、ユンジェも手を伸ばし、必死に伸ばし、伸ばして、手と手は結び合う。
雨音にまじって、高い水しぶきが二つ上がった。
川の中は大嵐であった。右も左も分からず、もみくちゃにされ、濁流に呑まれた二人の体は流された。成す術もなかった。
けれども。
ユンジェとティエンは、その流れから次第に逸れ、浅瀬に追いやられた。それは幸運という名の奇跡であった。
水面から顔を出したユンジェは、ティエンを引っ張り上げ、砂利の岸に這いあがる。
「はあっ、はあっ……ティエン、生きているか?」
咳き込んで水を吐いているティエンが、何度も頷いた。生きているなら、それで良い。ユンジェは脱力し、びっしょりと濡れた髪を掻き上げる。
「あっ」
目の前に神々しい光を放つ獣が、二人を見下ろしていた。
麒麟だ。
天から降りてきた獣が、観察するようにユンジェとティエンの姿を目に映している。吸い込まれそうな眼は澄み切っており、善悪を見通す力を感じた。
水面に立っている獣の足元を見ると、常に光の波紋が生まれている。それが改めて、天の生き物だということを思い知らされる。
威圧感のある空気にユンジェは息を呑んでいたが、一匙の勇気を掴むと、手放さずに持っていた懐剣を差し出した。
「約束するよ。ティエンは必ず俺が守るから。お前が言っていた、ティエンの守護の懐剣になるから」
麒麟の輪郭がおぼろげになる。
まるで雲のように形を崩していく獣は、音階のある一声鳴くと、懐剣の鞘に装飾されている黄玉に角を当て、天高く昇っていた。
(天に還っていったんだ。あれこそ天の使いって奴かも)
ユンジェは恐る恐る黄玉を確認する。そこには炎のような、燃え盛るものが宿っている。常に揺らめき、力強く燃え盛るそれは、命のともしびのように見えた。
ティエンが咳を零す。
我に返ったユンジェは、彼の前に両膝をつき、怪我の具合を確認する。彼の肩や背中には、まだ痛々しい矢が刺さっていた。
それはユンジェを庇った傷だ。
それなのに、彼はユンジェを追って崖を飛び下りてきた。ぼろぼろになってまで、自分の傍にいようとした彼に、つい怒鳴ってしまう。
「お前は何を考えているんだよ! 俺と一緒に落ちるなんて、どうかしているぜ! 死ぬかもしれなかったんだぞ!」
涙声で訴えると、ティエンが同じように涙目で微笑んだ。安堵した顔であった。申し訳なさも、少しかんばせに宿していた。
しゃくり上げるユンジェの頭を撫で、傷を確認してくる。人の心配をしている場合ではないだろうに。
「……ティエン。お前、なんだよそれ!」
ふと、ティエンの首に目を向けたユンジェは血相を変えた。なんと、彼の喉元が青たんのように腫れ上がっていたのだ。
よく目を凝らすと、彼の首に黒蛇が巻きついている。それがティエンの喉元に噛みつき、白い首は毒々しい紫に変色していた。
ユンジェは大慌てで懐剣を抜くと、刃先をティエンの喉に向けた。彼が目を見開き、驚くが、一刻の猶予もない。これが毒蛇であれば大変だ。
「じっとしてろよ」
狙いを定め、懐剣の刃先で蛇の頭を突き刺す。体をくねらせ、もがき苦しむ蛇を掴むと、頭を押さえ、刃を滑らせて胴体を真っ二つにした。
ユンジェは割れた胴の一つを抓み、それをまじまじと見つめる。黒蛇は内臓まで真っ黒であった。こんな蛇、見たこともない。
「毒蛇だったらまずいな。ティエン、こっち向け。念のために毒を吸い出し……ティエン?」
彼は喉を押さえ、げえげえと嘔吐いていた。