「リーミン。懐剣を抜きなさい。今度は遠慮など不要、王族に逆らえばどうなるか、身をもって思い知らせなさい」
ひとつの命令がユンジェを突き動かした。
懐剣の許可が下りたのであれば、ユンジェはそれを引き抜くまで。迷わず懐剣を抜くと、王族に向けられた悪意を辿って窓の外へと身を投じた。
窓辺から少し離れた枇杷の木の前に立ち、視線を持ち上げる。夜のとばりにまぎれ、枇杷の葉に身を隠しているようだが甘い。
ユンジェは軽い身のこなしで木に登ると、弓を構える輩の前に立ちふさがる。
それは従者の格好をした、若い男であった。
逞しい体つきをしているので従者の格好がどうにも似合わない。怪我を負っているのか、首や腕には包帯が巻かれていた。
「くそっ。見つかったか、まだ売られるガキどもを助けてねえのに」
「売られる、ガキ」
弓を構えてくる男の一言が、リーミンとなっていたユンジェの自我を少しだけ取り戻させる。脳裏に過ぎるのは、みなしごとなった子ども達。サンチェやジェチ、リョンらの顔。
隙を突かれ、顔の真横を矢が通り過ぎる。けれど恐怖心は芽生えず、ただただ男を見つめた。
そして。
睨みを飛ばしてくる男に、そっと人差し指を立てる。
訝しげに眉を寄せる男を余所に、ユンジェは枇杷の木から飛び下りると、急いでそこから離れた。
主君の命令に背いた、その現実が重くのしかかってくるが、それでもユンジェはあの男を見逃すべきだと思った。輩のことなんぞ一抹も知らないが、売られる子どもらを探しているのならば……ユンジェがユンジェである、今なら見逃せる。
無礼者を探す振りをして、中庭まで颯爽と駆け抜ける。
このままセイウの下から逃げ出せたら、淡い夢を見るも、急に足に力が抜け、その場で崩れてしまった。
(くそ。なんで足が動かなくなるんだよ)
主君に逆らうような行為をしたから? 逃げ出そうとしたから? ユンジェには分からない。
早々に逃げ出すことを諦め、ユンジェは腹に巻いていた荷物を解くと、体を引きずって、それを近くのツツジの茂みに隠した。
このまま自分が持っていても、いずれ没収されてしまう。それだけは避けたかった。
「リーミン」
近衛兵のチャオヤンが複数の兵を連れて追ってくる。彼はツツジの茂みの前に座り込むユンジェに、輩について問うた。
「追いついたんだけど、急に足が鉛のように重くなって……賊は塀の向こうに行ったみたいなんだけど」
どうしても足が重たい。走れない。そのせいで輩を逃がしてしまった。どうしよう。
チャオヤンに救いを求めると、彼はひとつ頷いた後、兵士らに辺りを探すよう指示して、ユンジェの身をおぶった。
「麒麟の使いとはいえ、お前は生身の人間の体。それも未熟な子どもの体だ。一日に何度も、お役を果そうとすれば、麒麟の与える力に耐えられず、体が参ってしまうのだろう。セイウさまにもお伝えしておかなければ。リーミンはあくまで護身剣であることも、釘を刺しておかなければな」
「それはどういう意味?」
逞しい背中に揺られ、揺られながら、ユンジェはチャオヤンに尋ねる。彼は分からないのか、と少しだけ呆れたように眉を下げた。
「リーミン。お前は護身剣。主君の身を守るために存在する。それゆえ、輩を滅するための剣ではない」
「相手を滅すれば、守ることに繋がると思うんだけど」
「一口に剣といっても、おのおの作られた役割がある。たとえば自分の直刀は刃が長く、相手の武器を受け止め、身を斬るのに適している。対照的に懐剣は刃が短く、相手の首を討ち取ることは難しい」
その分、直刀より小さく、小回りが利くので懐に忍ばせておくことが可能だ。いざ襲われても、それで身を守ることができる。
「リーミン、己のお役を肝に命じなさい。お前はセイウさまの身を守るために存在する。誰かを滅するための剣ではない。懐剣として選ばれている以上、自分は決してお前を逃がしはしない」
振り返るチャオヤンと目が合う。
鋭い眼光を向けてくる彼は、ユンジェの心を見通していた。厄介な相手になりそうだと心の底から思った。