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「ユンジェが懐剣リーミンに成り下がった、か。まずいことになりましたね、ティエンさま」
そこは、みなしごが塒にしている洞窟の中。
少々物が散乱しているのは、昨晩青州兵が子どもを探し求めた際、荒らし回ったせいだろう。地面には食糧や片手鍋、蝋燭なんかが転がっていた。
洞窟には麒麟の首飾りを持って逃げ回ったサンチェや、道すがらで助けたジェチ、そして幼子達がたき火に当たったり、横になって体を休めたり、ハオから手当てを施されている。
みな、ぼろぼろであったが、子どもらは強かった。
誰ひとり嘆くことなく、率先してハオの手伝いをしようとしたり、水を汲んできたり、汚れた布を洗って怪我人に使えるようにしたり、と自分にできることをしようと働いていた。そこらへんの大人より、精神が強いのではないだろうか。見習わなければならない点だ。
ティエンらはジェチ達を助けた後、この塒で手当てを施し里へ向かった。そこでユンジェと合流する予定だったのだが、まさかとんぼ返りになるとは。
しかし。サンチェに会えたことは幸運であった。
ティエンはサンチェに視線を投げる。
彼はリョンと呼ばれる幼女から、水の入った器を差し出されていた。
ずいぶんと慕っているようで、リョンはサンチェから離れようとしない。怪我を負った彼の世話をしようと一生懸命になっていた。
ハオから手当の邪魔だから向こうへ行け、と言われても、まったく聞く耳を持たず、傍にいる。兄妹ではないようだが、まことの兄妹のようで、なんとも微笑ましい。
ティエンも早く弟のユンジェに会いたいもの。だが。
「麟ノ国第二王子セイウさまが、霞ノ里にいる。それだけでも厄介なのに、ユンジェがセイウさまの危機を知るや、お役を果たすために走った。事実、あの子どもはティエンさまの、いえ……第三王子ピンインさまの懐剣だけではなくなった、ということですよ」
「分かっている」
「セイウさまは一度、ユンジェを逃がしております。次は逃さないよう兵の層を厚くすることでしょう。対して、こちらの兵の層は極めて薄い。前回とは比べものにならないほど、戦力が足りません」
「分かっている」
「いまのユンジェは、懐剣ユンジェではなく、懐剣リーミン。自我があるかも危ぶまれます」
「すべて分かっている。カグム、みなまで言うな」
苛立ちを募らせ、声音を荒げた結果、洞窟にいた子ども達が揃いも揃って首を竦めてしまう。申し訳ない気持ちになった。子どもらを怖がらせるつもりはなかったのだが。
ティエンは衣の下にさげている、サンチェから託された、麒麟の首飾りを握り締める。心には闘志が燃えがっていた。
一方で、努めてい冷静になる己がいた。感情的になるだけでは、懐剣の子どもを取り戻せないことを知っているからだ。
ユンジェならこう言うに違いない。こんな時だからこそ、よく考えろ、と。
「麒麟の使いを諦める選択はございますか?」
「カグム。私の性格を熟知している上で、それを言っているのであれば、一度外に出て頭を冷やせ。貴様と言い合う時間すら、私は惜しいのだ」
「僭越ながら、己の命を優先するのも、賢い選択だと申し上げたいのです。麒麟の使いは、たいへん重宝される存在ですが、天士ホウレイが最も重宝したいのは、次の王座に就くであろう第三王子ピンインさまですので」
一々腹立たしいことを言ってくる男だ。
ぎっ、とカグムを睨むも、彼は静かにこちらを見つめるばかり。
心意を見抜けない己が、ただただ歯がゆい。
いつもそうだ。
カグムの心はティエンには見えない。正直ずるいと思う。相手はティエンの気持ちを読むのに、自分は読めないなんて。ほんとうに不公平だ。
「俺はセイウの懐剣に成り下がっても、ずっと、ずっとお前のことを待っている。必ず助けてくれると信じている――だから、どうか、懐剣のユンジェを取り戻してくれ」
冷たい空気が流れ始めた二人の会話に口を挟んできたのはサンチェであった。
手当てを終えた彼は、ハオに礼を言って、リョンを膝の上に置く。嬉しそうに頬を崩すリョンの頭を撫でながら、彼は預かった伝言をティエンに送った。
「ユンジェは、この伝言を俺に託した。俺は嫌だった。あいつが、自分を犠牲にしてチビ達を取り戻すなんて。そんなの味が悪いじゃないか」
それでも。ユンジェはサンチェに言ったのだ。首飾りと伝言を兄に渡してくれたら、きっと自分を兄が助けてくれる。自分は救われる。そう言ってくれたのだ。
「だから俺は全力で走った。首飾りを渡すことで、あいつが助けられる。そう信じたから。ユンジェが信じてくれと頼んだから……あんた達は、あいつを助けるんだよな?」
サンチェは問うた。
ティエン達の言い合いを見て不安を覚えたのだろう。自分があの時、ユンジェを見送った判断は誤りではなかった、それを信じたい一心で尋ねてくる。精力に溢れた強い眼には、小さな疑心が宿っていた。否定されることが怖いのだろう。
ティエンはたき火を回り、サンチェの隣に膝を下ろした。