男達は連中と同じ大人であった。しかも見知らぬ大人であった。
 それなのに、どうして自分を助けてくれるのだろうか。サンチェには分からない。

「何をする。貴様らも賊かっ!」

 サンチェが噛みついていた男は、まだ気を失っていないようで、重たそうな体躯を起こすと、棍棒を乱雑に振り回した。視野の悪い森の中、近距離でそれを避けるのは難しい。

 なのに。誰よりも近く輩の傍にいたカグムは、避けることも、逃げることもなく、太極刀で受け流して口角を持ち上げる。


「知る必要はない。じき、お前は天の上へ行くんだからな」


 いや、地の底やもしれない。
 カグムは容赦なく胸から腹部を斬りつけ、男の膝を崩す。間もなく、輩は永遠の眠りに就くことだろう。もがき苦しむ男は、絶え間なくうめき声をあげていた。

 剣の稽古を積んでいたサンチェだからこそ分かる。カグムの腕前は相当なものだと。きっと、それは傍にいるハオという男も同じ。あの二人はつわものだ。

(か、勝てない。今の俺じゃ、絶対に……)

 どうしよう。彼らはサンチェを助けてくれたが、敵味方の判断はつきかねる。
 もしも彼らが人買いで、サンチェを横取りするために剣を振るったのであれば。まだ危機は去っていない。

「さてと、カグム。このガキはどうする? 暗くて怪我の具合がよく分からねーが……軽くはなさそうだぜ」

「と、言ってもなぁ」

 青白い月明かりが薄い雲を抜け出し、地上をつよく照らす。
 双方の顔がはっきりと見えた。同じように、向こうもサンチェの顔がはっきりと見えたのだろう。

 揃って瞠目してくる。

「お前。その首飾りは」

 双剣を鞘におさめるハオが指差す。サンチェの警戒心が高まった。

「王族の証を示す、麒麟の首飾りじゃないか。なんで、この子がっ、あ、待て!」

 サンチェは逃げ出した。
 やはり、あの大人達は敵なのだ。首飾りを見た瞬間、目の色が変わった。そんなにこれは価値のあるものなのだろうか。高値で売れるものなのだろうか。
 そうはさせない。これは守り通す。渡すべき人に渡す。そう約束したのだから。

 縺れる足は遅く、あっという間に追いつかれ、腕を取られた。振り返ると、カグムが「落ち着け」と言ってくる。サンチェの耳には届かない。


「放せっ、これは渡すもんか!」


 体を突き飛ばすと、よろめいて倒れてしまう。
 激しく暴れたせいで、忘れていた吐き気がこみ上げてきた。思わず嘔吐(えず)いてしまう。酸っぱい胃液が口を不快感にさせた。

 なおも、サンチェは男達が近づこうとすると、細い棒切れを握って、それを振り回した。勝てないことは百も承知だったが、サンチェとて譲れない。首飾りを必死に守った。

「カグム、ハオ。これはなんの騒ぎだ。子どもは助けられたのか」

 天はつくづく意地悪な試練をサンチェに与える。大人二人でも勝てないのに、近くにもう一人、大人がいるなんて。


「ティエンさま。どうかお下がりください。あの子ども、乱心しているようで」

「乱心?」


「それに。ガキが麒麟の首飾りを持っているんです。あれは、たぶん貴殿の首飾りかと」

「なに?」


 遠いところで会話が聞こえる。
 朦朧とする意識を奮い立たせ、サンチェは両手で棒切れを握った。気配が近づいてくると、雄叫びを上げて振り下ろす。

「ティエンさま!」

 地面に直撃した棒切れが、容易く折れてしまった。

(くそ。他にっ、武器っ、ぶき)

 手探りで武器を探す。
 何も無いので物を投げることにした。折れた枝でも、石でも、砂でも、手に掴めるものは手当たり次第、物を投げつけた。

 それでも気配が目の前で止まる。サンチェは恐怖に(おのの)いた。


「来るなっ。来るなっ! 首飾りは渡さない。これは俺の物じゃないんだ。頼まれた物なんだ。俺は願いごとを託されたんだ。約束したんだよっ! あいつの兄貴に渡すって約束したんだよっ!」


 最後の悪足掻きは、叫ぶ、であった。
    
 無駄な足掻きだと分かっていも、叫ばずにはいられない。


「取られて堪るかっ。売られて堪るかっ! ユンジェの願いをここで散らして堪るかよ――っ!」


 寸時の間もなく、サンチェは息苦しさに襲われた。痛みはない。つらさもない。ただ、息苦しさのみ襲ってくる。
 何が起きたか分からず、目を白黒させていると、優しい手が頭を撫でてくる。抱きしめられているのだと理解したのは、ずいぶん後になってのことだった。

 荒呼吸を繰り返すサンチェの額に、見知らぬ大人の額が合わせられた。昔、母親からされていた行為に懐かしさを覚える。

 サンチェは慰められていた。

 でも、なぜ。


「こんなにぼろぼろになって。それでも、あの子のために首飾りを守ってくれたのだな」


 そっと額を離す男と顔を合わせる。
 息を呑むほど美しいかんばせが、そこにはあった。同じ人間とは思えない、美しい顔は一目では男なのか、女なのか分からない。
 一方で慈悲深い笑みを浮かべていた。優しい笑みであった。

「それは私が弟へ贈った首飾りなんだ。お守りとして肌身離さず持っておくよう、ユンジェに伝えていた」

 なら。サンチェは男の衣を握る。

「あんた、ユンジェの兄さん? えっと、えっと……」

「ティエン。それが私の名前だ」

 そうだ、そうだった。ユンジェの兄の名はティエンだった。それだけ聞けば十分だ。

 サンチェは張りつめていた糸を切り、ティエンの衣に、歪めた顔を押しつけた。


「良かった。本当に良かった。会えた。俺っ、どこかで、あいつの願いごとを叶えられないんじゃないかって……大人に捕まってっ、売られるんだって。殺されるんだって思って。それで」


「よく私の下まで走ってくれたな。ありがとう、本当にありがとう」


 もう大丈夫だ。

 背中をさすってくるティエンが心からの感謝と、安らぎを与えてくる。

 それだけで、サンチェの走り回っていた行動が報われた気がした。
 いつも守れなかった自分だけど、今度ばかりはちゃんと守ることができた。恐ろしい大人達を相手にチビ達を隠し、逃げ回り、ユンジェの兄に会えたのだ。少しは自分を誇っても良いのではないだろうか。


 サンチェは少しの間、大粒の涙を流し続けた。
 それはまぎれもなく、幼子達を守る家長ではなく、齢十四相応の子どもの姿であった。