「――なるほど、あれが懐剣のリーミン。思った以上じゃねえか」


 少し離れた所で、セイウと同じように歪んだ欲を抱く不届き者がいる。
 戦を盗み見るその者は、賊に成り済ました第一王子リャンテ。

 丘の手前にある森に鳴りを潜め、懐剣リーミンのお役を果たす姿を見ていたのだが、その強さと躊躇いのない太刀筋に、舌なめずりをしてしまう。

 戦狂いのリャンテにとって、懐剣の子どもの姿は理想そのものだった。
 相手の死はもちろん、己の死すら何も思わず、主君のために目の前の輩を討ち取っていく。なるほど、美と財に目のないセイウが父王に逆らっても、手元に置きたがるはずだ。

 あれを手に入れたら、もっと刺激ある大きな戦に飛び込めるのではないだろうか。手に入れる価値は大いにある。

「さてと。懐剣のリーミンをどう手に入れるかな」


 時を同じくして、懐剣の子どもに欲望を抱く不届き者がいた。子どもを追って馬を走らせていた、将軍グンヘイであった。
 グンヘイは麒麟の力を宿した子どもの姿に、たいへん興奮した。

「あれは千の兵に匹敵する力だっ!」

 我が物にすれば、傲慢な王族にへりくだる必要もなくなる。
 国を統べるクンル王とて、敵ではなくなるやもしれない。

 いやいや、さすがに王座は欲を出し過ぎだろう。頂点に立てば、絶えず命を狙われる可能性もある。ここはクンル王の顔を立て、盾を作っておくべきだ。

 嗚呼、あれを差し出せば、左遷された件も取り消され、今よりもずっと高い地位と名誉を得られるやもしれない。

 そのためにも。


(第二王子セイウをどうにかせねばなるまい。どうするか)







 丘のふもとに静けさが戻る。

 ユンジェは遠くへ逃げていく賊を見送り、そっと地面に目を落とした。
 そこには兵士と賊の(しかばね)が転がっている。相討ちになった者もいれば、命を奪われた者もいることだろう。そして、ユンジェが命を奪った者も。

 それらをぼんやりと眺め、血塗られた懐剣を衣で拭った。
 相変わらず、懐剣の刃は輝きを宿している。のろのろと鞘に目を向けると、装飾の黄玉(トパーズ)も、変わりなく光り輝いていた。こんなにも人の返り血を浴びたのに。

 懐剣を鞘におさめたところで、少しだけ我に返る。
 ユンジェは身を震わせた。先ほどまで何も思わなかった屍に恐怖を抱く。自分は一体……。


「リーミン」


 聞こえてくる声が心の臓を凍らせる。

 ユンジェは急いで、その場から逃げようと走り出すが、あっという間に青州兵に囲まれてしまった。
 後ずさりすると、背後に回った近衛兵のチャオヤンにぶつかる。逃げ道を塞がれたユンジェは震えることしかできない。

 分かっていたことなのに。
 サンチェに麒麟の首飾りを託した、その時から、分かっていたことなのに。

 それでも抗おうとする自分がいる。主君に恐怖する自分がいる。逃げ出したい自分がいる。

(ティエン。俺っ、おれ)

 たくさんの大人に囲まれ、ユンジェはどうすることもできない。ここに、助けてくれる者はいない。両膝を崩し、その場に座り込む。

(ティエンっ)

 心の中で必死にティエンを呼び続けた。ユンジェがユンジェでなくなるのが、とても怖い。

「おやおや、困った子ですね。また小汚くなって。早いところ湯殿に入らせて、うつくしく磨かなければ」

 兵士達が道を開けた。
 そこから第二王子セイウが現れる。直視することができず、ユンジェは俯いてしまった。目を合わせることすら怖くて仕方がない。

 なのに。骨張った指が顎を掬ってくる。無理やり視線を合わせられたユンジェは、セイウの瑠璃の瞳に心を奪われた。


「セイウの懐剣である以上、お前は美しい姿でいなければなりません。小汚い衣や靴なんぞ、リーミンには似合わない。とはいえ、今のお前は美しい。返り血を浴び、私の身を守る姿は、まこと麒麟の使いに恥じない姿でした。身も心も懐剣になり切る姿こそ、リーミンに相応しい」


 セイウは見抜いているに違いない。麒麟の使いだったばかりに、王族に逆らえず、怯えるユンジェの心を。
    
 そして。抗うことができず、悔しい思いを噛み締めているユンジェを嘲笑うかのように命じた。

「お帰りなさい、私の懐剣――さあ、ここで服従を示しなさい」

 自分が誰の物か、それをここで示せ。
 そう言葉を重ねるセイウに、何も言えず、返せず、抗えず、ユンジェはその場で平伏して両手の甲を見せた。右の足で踏まれたことを確認すると、そっと足の甲に額を合わせた。


「ただいま戻りました。我が君、麟ノ国第二王子セイウさま」