霞ノ里はユンジェが想像していたよりも土地が広く、人も多く、なにより不思議な地形をしていた。
里は将軍グンヘイが我が物顔にしている、天降ノ泉を中心に南北東西、まるで植物の根が張っていくように川が流れている。
すこし里を歩けば、目につくところ川。川。川。里の至る所に川が流れていた。
泉が川を生み出していると言っても過言ではない。
ゆえに、里は川の流れを利用した水車小屋が多く見受けられた。水流の力を借りて穀物の脱穀や製粉を行っている様子。
なによりも、心を奪われたのは川の水の透き通り具合だ。
ある程度深さがあっても、水底までよく見えた。泳ぐ小魚も、転がる石も、それこそ水の流れも、肉眼ではっきりと見える。とても、うつくしい川だった。
そんな川を眺めながらユンジェは桟橋の近くの木の陰に身を隠し、リョンのお守をしていた。サンチェの願い通り、彼が市場や畑で一仕事している間、幼子のお守をあずかっている。
しかし。ただお守をするのではつまらない。
ユンジェは川沿いに見覚えのある花を見つけると、リョンに声を掛け、二人でそれを引っこ抜いた。
途中ユンジェは土を落として、根を懐剣で切り、丁寧に布でそれを拭く作業に移った。
幼子には引き続き、摘んでくれるよう頼むと、役に立ちたいリョンは一生懸命に花を摘み、持てるだけ持ってユンジェの下へ走る。それを幾度も繰り返した。
がんばる姿を褒めてやれば、リョンは嬉しそう衣を握ってはにかみを見せる。役に立っていることが嬉しくてたまらないのだろう。
それはサンチェが戻る、昼頃まで続いた。
「お前ら、俺が盗みに行っている間に、なに草遊びしてるんだよ」
呆れ顔を作るサンチェは、そこそこ収穫があったようだ。掛けている頭陀袋がやや膨らんでいる。
きっとあの中に、果実や芋なんかが入っているのだろう。もしかすると菓子が入っているやもしれない。それはユンジェにも分からない。
ただ腕や足、顔に砂や擦り傷をつけているサンチェを見ると、少々無理をした様子。腹を空かせた幼子らや年長達を喜ばせたいのだろう。
サンチェの良いところは、ユンジェに手伝ってほしい、と言わないところだ。
盗みが悪だと知っているからこそ、必要以上にユンジェを巻き込まないのだろう。盗みは人が多い方がやりやすい。収穫物だって増える。
なのに、彼はユンジェに敢えて、リョンのお守を頼んだ。いくら調子良いサンチェでも、ユンジェを盗みに巻き込むのは良心が痛む。
あくまでユンジェの予想だが、彼はそう思ってくれたのではないだろうか?
妙なところで気を遣う奴だ。思わず苦笑いが零れてしてしまう。
さて。呆れるサンチェの誤解を解くため、ユンジェは花のついた草を彼に向け、得意げに教えてやる。
「これはセリって言って、食える草なんだ」
「食える草?」
「そっ。塩ゆでにして食うと美味いぞ。えぐみもないし、苦味も少ない。保存は利かないけど、少しでも食い物は多い方が良いだろう? これから先、里に来たら、ここでセリを摘んで飯の足しにしろよ。リョンも手伝ってくれたんだぜ。な?」
幼子は何度も小さく頷いた。サンチェの顔色を窺い、もじもじと指遊びをしている。
「りょ、リョン。働くって言ったから……」
「これから家族になるみんなの分まで、たくさん摘んでくれたんだぜ? うんと褒めてやれよ、サンチェ。リョンは宣言通り、働いてくれたんだからな」
すると。膝を折ったサンチェが、俯き気味だったリョンの頭をわしゃわしゃと撫でまわした。
大層、リョンは驚いていたが、彼が偉いえらい、と大袈裟に褒めると、自信を得たように目を輝かせた。
己の仕事っぷりが認められて嬉しかったのだろう。ユンジェが褒めた時よりもずっと誇らしげに、頬を赤く染めて、はにかんでいる。
リョンを面倒看ると言ってくれたサンチェに、一番褒めてもらいたかったのだろう。
微笑ましい光景に目尻を下げ、ユンジェは懐剣でセリについた土や根を落としていく。
「サンチェ。セリの他に、ヨモギも見つけたから、一緒に入れておくぞ。若い葉だけ摘んでおいたから、こっちも飯の足しにしろよ。あと、ヨモギは血止めになるから、重宝しておいて良いと思うぜ。血止草(ちどめぐさ)とも言われるらしいから」
尤も、ヨモギのことはハオからの受け売りだ。
彼が教えてくれた薬草の知識を、ユンジェはまんま口にしているだけ。胸を張って教えられるような知識ではない。
すぐ側で小山となっているヨモギを指さし、ユンジェはあれも持っていくようサンチェに言った。きっと、みなの役に立つことだろう。
と、サンチェが、こちらの顔をじっと見つめていることに気づく。
その場で胡坐を掻き、黙ってユンジェを見つめてくるので、なんだか、とっても気持ちが悪い。妙ちきりんなことでも言っただろうか?
「ユンジェ。本当に天降ノ泉へ行くのか?」
今さら何を。
ユンジェはセリの根を切り落としながら、呆れ気味に頷いた。