気がついたようだ。じわじわと彼の目が開いていく。それを見るや、幼子はカグムの傍を離れ、少年に飛びついた。何度もお兄ちゃん、と呼ばれ、少年は意識を取り戻す。

「ここは……僕は一体」

 瞬きを繰り返す少年と目が合う。
 彼は幼子の頭を撫でながら、うつらうつらと治療にあたるティエンやハオを見つめる。「兵士?」と問うたので、ただの旅人だと答えた。

 それを聞くや、少年は安堵したように脱力した。

「兵士じゃないなら良かった。ほんとうに、良かった」

「どうして、こんな傷を負っているんだ。親は?」

 ティエンの疑問に、「親はいない」と少年。兵士に殺されてしまったと答え、今は兵士に追われているのだと、消えそうな声で呟いた。

 兵士に捕まれば、子どもの自分達は売られてしまう。どこか知らないところで物のように売られ、その金は将軍グンヘイの懐に入る。

 だから必死に逃げた。
 (ねぐら)にしている洞窟を離れ、暗い森の中を彷徨った。
 途中、仲間と逸れてしまい、それでも自分に守れるだけの子ども達を率いて兵士から逃げた。結果、崖に足を取られ、滑り落ちてしまったのだと、少年は説明する。

 彼は体に縋る幼子の頭を撫で、悔しそうに顔をゆがめた。


「僕はお前しかっ、助けられなかった。両手で子ども達の手を握っていたのに。もう一人は……ごめんよ。本当にごめんよ。どうか、無事でいてくれ」


 涙を浮かべながら自責する少年に、「ジェチお兄ちゃん。泣かないで」と、幼子が慰める。小さな手で何度も頬を撫でていた。

 ティエンは言い知れぬ怒りと悲しみを胸に抱いた。
 将軍グンヘイは何を考えているのだ。罪もない子どもを捕らえ、売りに出すなど、本当に何を考えているのだ。気に食わない人間だと思っていたが、ここまで愚かな人間だとは。

 事情を聴いたカグムは、「こりゃまずいかもな」と、眉を寄せる。

「たぶん、その子らの他にも、森には子ども達が逃げ惑っている。兵士がそれを追っているとなると、ユンジェも対象になりかねない。あいつのことだから上手く逃げていると思うんだが」

 瞬く間にジェチが震えた。
 少年は左腕が折れているというのに、苦しい痛みが腕を蝕んでいるだろうに、頭だって打っているというのに、折れている左腕をティエンに伸ばす。

 そして、その手をティエンと重ね、まじまじと顔を見つめ、見つめ続けた。嗚呼、確信を得たように声を漏らす。

「そうか。貴方が……話に聞いていた通りの美人さんだ。ユンジェの言った通りの、美人さん」

「ユンジェ? ユンジェを知っているのか?」

 うん、ジェチは頷く。その瞼は少々重たそうだった。


「ユンジェから、たくさん聞いている。貴方の名前はティエンさんで、本当の兄弟じゃない。けど兄弟のように仲が良くて。弓が上手で。お茶と髪を弄るのが大好きで」


 昨晩、兵士に追われる前にたくさん話をした。

 それはとても、とても、楽しい時間だった。彼にはひどいことをしてしまったけど、自分を許し、友達になってくれた。知恵のある素敵な人だ。
 ジェチは懐かしむように語った。もう遠い記憶のように思えるのだろう。

「ユンジェは(かすみ)ノ里へ向かったよ。天降(あまり)ノ泉に行くとか言っていた。はやく行ってあげて。お兄さんと、会いたがっていた。貴方を……心配していた」

 ああ、でも自分もは(かすみ)ノ里へ向かわないと。逸れた子どもを救わないと。

 あれは自分の家族だから。

 生き別れになった妹達のように、逸れた子どもとも生き別れになるなんて冗談ではない。自分は子どものあやしも上手くないし、力もないし、大した知恵もないけれど、それでも子どもを守る年長だから。だから。

「サンチェとトンファと僕の三人で守ると、誓い合ったから……行かないと」

 将軍グンヘイに捕まり、その男の財になるなんて、そんなの絶対に許せない。幼子らは自分達の手で守る。守り抜いてやる。

 うわごとを繰り返すジェチの目が、静かに閉じていく。見た目以上に、少年は重傷なのだろう。
    
 気を失ったジェチに幼子が悲鳴を上げ、目を開けるよう訴え、体を揺すっている。まだ生きている。安心して良い。ハオが言っても、幼子は聞く耳を持たない。

 それどころか大粒の涙を流し、この怪我は自分のせいだと言って、土に爪を立てた。逃げる時、自分が崖に足を取られなければ、ジェチは自分を庇わなかった。怪我をしなかった。

 幼子はしゃくり上げた。

「お父さんも、お母さんも、兵士さんに殺されて。家もなくなって。町の大人は冷たくて。それでも、がんばって生きているのに、どうしてつらいことばっかり……お兄ちゃんまで取らないでよっ。お願いだからっ、ジェチお兄ちゃんまで取らないでよ!」

 天に向かって吠える声は、青空に溶け消えていく。それは魂からの叫びだった。

 蹲って声を上げる幼子に、ティエンは掛ける言葉が見つからなかった。
 そっと隣に座り、小さな背中をさすってやることしかできなかった。理不尽に耐え続ける子どもに、いったい何がしてやれるというのだ。

(これが麟ノ国なのか)

 瑞獣の麒麟が守護する麟ノ国は、こんなにも腐っているのか。

 だったら、いっそのこと国を統治する王族など亡んでしまえば良い。上に立つ者ばかり笑い、弱き者は泣いて過ごす。これが国の在り方だとするなら、ティエンはそれをすべて否定してやりたい。

 こんな時にこそ呪われた王子の出番なのでは? 本当に呪われているのならば、腐り切ったところを根こそぎ、亡ぼせる力が欲しい。

「国とは、まこと何なのだ」

 激情を胸に抱え、自問自答するティエンに、謀反兵のカグムも、ハオも何も言わず、ただただ泣き崩れる幼子を見つめていた。