急いで洞窟の外へ出ると、よく耳をすませて東西南北、森の音を拾う。

 聞こえる。

 夜風が木々をすり抜ける音。虫や森カエルの鳴く声。草木の囁きを邪魔する、人間の声。野太い男の声がひとつ、ふたつ、みっつ……会話は聞こえてこないが、大きめに声を出しているようだ。

 夜の森はとても音が響く。そのため距離を測ることは難しいが、サンチェの言う通り、そう遠くない場所に大人がいるようだ。

(麒麟の使いが近くにいることが、グンヘイにばれた。思ったより早かったな)

 リャンテ王子と青州兵に出くわした時点で、いずれグンヘイの耳に己の存在は知らされるだろうと予想はしていたものの、まさか、子どもを片っ端から集めているとは。

 どうする。
 幼子がいる洞窟にユンジェがいたら、子ども達が危ぶまれる。
 あの子達のためにも一刻も早く離れるべきだろう。かといって、ひとりで外をうろつき回っても、発見された際、まだ近くに子どもがいるのではないか、と探される可能性がある。

 さらに夜の森は動きづらい。よく地形を把握しておかなければ危険だ。

 下手な判断を下すと命取りになる。考えろ、どうすればいいか、よく考えろ。

「ユンジェ。支度しろ」

 闇夜を睨んで思案に耽っていると、サンチェから声を掛けられた。振り返ると、彼も身支度を整えている。一体何を。

「お前、(かすみ)ノ里に行きたいっつってたな。俺が里まで案内してやる。ただ、ちょっと走ることになるぜ」

 それだけでサンチェの考えが読めた。
 この男はユンジェと二人で大人達の目を集め、オトリになろうとしているのだ。
 そうすることで、(ねぐら)のある洞窟から大人達を遠ざけ、幼子らを守ろうという魂胆なのだろう。

「ユンジェの足の速さは、昼間見せてもらった。二人で走れば、たぶん撒けるだろう。ジェチ、お前はトンファとガキ達を頼む。もし、ここが見つかりそうになったら迷わず、洞窟から離れろ。そして、大人達がいなくなるまで身を隠しておくんだ」

「サンチェ。僕も行くよ」

「だめだ。お前は俺ほど足が速くない。それに不調のトンファひとりで、ガキ達を任せるのは酷だろう? 大丈夫、そんな顔をしなくてもジェチは頭が回るから、俺は何も心配してねーぜ」

 浮かない顔を作るジェチに笑いかけるサンチェは、絶対に大人と戦うな。徹底的に逃げろ。それが自分達の勝てる唯一の方法だと、何度も言い聞かせていた。

 正しい考えだとユンジェは思った。
 子どもの自分達は逆立ちしたって大人に勝てない。逃げてこそ子どもの自分達が勝てる、一番の方法だと思う。

 ユンジェはお手製の目つぶしを腰に下げると、残りの荷物は布に包んだ。
 その際、ジェチにハゼの実の入った小袋と蝋燭を渡されたので、それも一緒に包み、しっかりと腰に巻いた。帯に懐剣を差すと、サンチェに準備ができたことを告げる。

「よし。行くぞ。ジェチ、後は頼むな」

「分かった。気をつけてねサンチェ。それからユンジェ」

 彼はユンジェを見つめ、そして笑顔を見せて、右の手を差し出した。


「今夜はありがとう。君と話せて楽しかった。できることなら、もっとユンジェと話してみたかったよ。何が好きなのか、どんなことに興味があるのか、得意なことは何なのか。たくさん話せば、きっと良い友達になれたと思う。ううん、少しは友達になれたかな。君を襲った賊だけど」


「ジェチ……ばかだな。ごめんを言ってくれた時点で俺は許しているよ」


 ユンジェはジェチと握手を交わすと、「トンファにもよろしくな」と言葉を送った。
    
 彼は嬉しそうに頷き、「ユンジェが無事お兄さんと会えますように」と、心からの気持ちを送った。

 とても、とても惜しく思う。

 ユンジェも、もっとジェチとたくさん話して、彼のことを知りたかった。友達のことを知りたかった。



 松明を持って洞窟を後にしたユンジェは、サンチェと夜の森を走る。
 彼はある程度、森の地形を把握しているようで、辺りが暗くとも、その地形と星を確認して、方向を定めていた。

「まずは大人の数を把握することだな。そんなに数はいねーと思うんだけど。コソ泥のガキ相手を捕まえるだけだし」

 サンチェが予想を立てるが、ユンジェは「多いと思う」と返した。
理由を尋ねられると、顔を顰めてしまう。

「俺が王族の探しているガキだから。将軍グンヘイが動いたのは、たぶん俺のせいだ」

「よく分からねーけど、グンヘイは前からガキを集めていたから、今さら動いたところで俺は誰のせいにもしねーよ。責めるなら、グンヘイ自身を責めるね」

 そう言ってくれると、ユンジェも心が軽くなる。
 サンチェが大人達の姿を見つけたので、揃って松明をちらつかせた。

 鎧を纏った人間はやはり青州の兵士、しかもグンヘイの兵のようで、「子どもがいたぞ」と声音を張っていた。

 二人は急いで走る。少しでも洞窟から大人達を遠ざけるために。

「数を把握する前に、見つかったけど、これからどうするんだよ」

 ユンジェの問いに、サンチェは軽く舌を出した。

「これから考える。数は走りながら把握する。だから、死に物狂いで走れよ」

「行き当たりばったりで大丈夫かよ」

「なんとかなる。いや、なんとかさせる」

「むちゃくちゃだ。ほんとうに大丈夫かよ」

 夜が深まる森の中、ふたりの長い追いかけっこが始まった。