曰く、天降ノ泉は川多き青州の水の源と云われており、天上におわす麒麟の憩いの場だとか。
それは天を翔け、地上を見守る麒麟が一休みするため、一粒の涙を落として出来た泉。やがて枝分かれし、数多の川となって海に繋がったと伝えられている。
瑞獣の麒麟とゆかりがあるので、国は天降ノ泉を大切にしているのだそうだ。それを椿ノ油小町の人間が独占したので、将軍グンヘイが制裁を下したという。
けれども。噂を耳にした青州の人間達は、一抹もそれを信じていない。
なぜなら、本当に天降ノ泉を独占しようとしているのは、将軍グンヘイだと誰もが分かっているからだ。
「将軍グンヘイが青州の守護を任されてから、何かと問題が生じているそうですよ。悪評ばかり目立つのに、なぜ青州を任されている王族は放っておくのだろう、と青州の民は思っているらしくて」
よほど将軍グンヘイは酷い人物らしい。彼と対面したことのあるティエンが、険しい顔で身震いをしている。
「これから先の旅路、どうか用心して下さいね。グンヘイという方も、国に逆らう人間も、とても乱暴だと聞きますので。ね、姉さん」
「ええ。本当に。グンヘイは勿論のこと、国に逆らう人間なんて、セイウ王子が大切にしている子どもを誘拐したそうですよ! お可哀想そうに。噂によれば、セイウ王子は子どもをとても可愛がっていたとか」
可愛がるどころか、人を物として扱った挙句、ユンジェを下僕にしたのだが。麒麟の使いを宮殿に飾ろうと目論む、とんでもない男なのだが。噂って怖い。
「セイウ王子は心を痛めているでしょうね。はやく子どもが見つかれば宜しいのですが。そういえば、お名前が出ていたような……」
「出ていたわ、姉さん。前にここを寄った旅のお方が、子どもを取り返して、報酬を得るとか意気込んでいましたから。確か、リ……りぃ」
「ユンジェ。追加で胡麻団子を頼もう。私と半分にしような」
これ以上、セイウの話を聞きたくないティエンが、貴重な笑顔を浮かべ、胡麻団子を追加で注文する。娘達の会話を断ちたい目的もあるのだろう。ユンジェには作り笑顔だとすぐに分かったが、何も言うまい。
頬を上気させる姉妹が、嬉しそうに注文を受け取って踵返す。
「おっと」
姉の方が人とぶつかった。慌てて、謝罪する娘の顔が呆けた。好青年の兵士が娘の体を受け止めている。
「お嬢さん、怪我はないか?」
その声は。
顔を上げれば、柔らかな笑みを浮かべて娘の体を受け止めているカグムと、不機嫌に眉を寄せているハオの姿。おおかた夕餉に連れ出すため、部屋を訪問したのだろう。が、ユンジェ達がいないので、探し回っていた様子。
いや、問題はそこではない。
カグムに受け止められた娘が、見る見る顔を真っ赤に染めていく。何度もぶつかったことを謝ると、彼は気にしないで欲しいと笑顔を作った。
それどころか、こちらこそ通り道を阻んで申し訳ないと謝罪する。
するとどうだ。見る見る姉妹達の顔が蕩けたではないか!
ユンジェは思った。
なるほど。カグムは女性の人気を集める性格をしているらしい。顔も格好良い方だし、体躯も強く見える。
なにより、癖のない笑顔で娘と接している。お嫁さんになりたい女性も多いことだろう。
「はっ、これだから女って奴は」
悪態をつく男は、カグムとは対照的である。ユンジェは遠い目で、背後に立つハオを見つめた。
「おい、クソガキ。なんだ、その人を憐れむような目は」
「ううん。女は厳しいなって思っただけ。眉間の皺が怖く見えるのかなぁ」
それだけで、何が言いたいのか理解したのだろう。
ハオはこめかみに青筋を立て、頭に拳骨を入れてきた。痛い、殴らなくとも良いではないか! そういうところが、女の心を掴めない原因なのだ。
ユンジェはひりつく頭部を擦り、恨めしくハオを睨んだ。