男は目が良いのか、白煙の中にいるユンジェを見つけるや、邪魔だと言って矛を振り下ろす。子どもにすら慈悲の心を持たないようだ。
しかし、災い相手に情けを掛けてもらわなくとも結構だ。
ユンジェは風を切るように矛を避けると、馬よりも高く飛躍した。向かってくる矛に恐れることもなく、その懐剣で水平に突き刺し、渾身の力を込めた。
結果、矛の刃が細かな破片となって砕け散る。
「なに?」
地面に着地したユンジェは、馬の手綱を引き、獣の足を止める男を見上げる。
血気盛んな眼と視線がぶつかり、体がこわばった。強い畏れを抱くことで、この男の正体を知る。
ティエンやセイウと違い、男らしい広い肩幅と逞しい腕を持ちながらも、彼らと同じように眉目秀麗な面持ちを持つ、目前の男こそ二人の兄――麟ノ国第一王子リャンテ。
男に畏れた体は、次なる衝動によって、嘘のように動いた。
ユンジェは迫っていた兵の剣を懐剣で弾き飛ばし、左右にいる輩の槍を縦に割る。これより先に行こうとする兵は、誰であろうと懐剣を向けた。
今のユンジェは風であった。小さな嵐の子でもあった。心ない懐剣でもあったし、化け物でもあった。人間を忘れ、所有者を守ることで頭がいっぱいとなった。
「ユンジェっ! どこにいる、ユンジェ!」
白煙の向こうから、ティエンの呼びつける声が聞こえた。
ユンジェは急いで戻る。
鏡の光が確認できたので、そちらに足を向けると、細い路の前で身を屈めて、合図を送るカグムの姿を見つけた。後ろにはティエンとハオもいる。
「はあ。やっと来た。困った悪ガキだな」
「クソガキ、何やってんだよ」
カグムの苦笑いや、ハオの悪態が遠く思える。なぜだろう。
「良かった。ユンジェ、無事か?」
手を握ってくるティエンのぬくもりで、ユンジェはようやく心を取り戻した。
それが怖くなる。これまで恐怖を感じなかっただけで済んだのに、今しがたの自分は心が空っぽであった。何も感じなかった。
ユンジェは確信する。前より状態が酷くなっている。
(そんな……セイウと主従になったからか?)
カグムがふたたび先導し、走り始めたので、後に続く。
動揺している場合ではない。今は生き延びることだけを考えなければ。そして、ティエンを生かすことを考えなければ。
混戦をくぐり抜け、ようやく新しい家屋に避難する。
運が良いことに、そこは椿油を扱う所だったようで、家屋の中に地下貯蔵庫を見つけた。絞られた椿油をここで保管していたのだろうと。
四人は道を塞ぐ空樽を退かし、階段を下ってそこに身を隠した。ここなら火薬筒が飛んで来ても、被害に遭わないだろう。
火薬筒で家屋が倒壊したら、みんな仲良く生き埋めだが、暗いことは考えまい。
(リャンテに顔を見られたかな。俺が懐剣ってこと、ばれなきゃいいけど……)
どうか戦が落ち着くまで、見つかりませんように。
ユンジェは心から強く祈り、ぐっと息をひそめると、地上から聞こえる生死の音に耳を傾けた。
「あーあ。新調したばりの矛が、まさかもう折れちまうなんて。いや、砕けちまうなんて。さすがに初めてだぜ。武器を砕かれたのは」
一部始終を目の当たりにした男、リャンテはお気に入りだった矛を投げ捨てる。
代わりに、愛用の青龍刀を抜き、迫ってくる青州の兵を斬ると、馬の腹を蹴って戦へ戻る。
そのかんばせは、たいへん嬉々としていた。
(あのガキ、顔こそ見えなかったが、血を恐れていなかった。戦を恐れていなかった。死を恐れていなかった。くくっ、セイウが必死こいて探すわけだ。ありゃ欲しくなるぜ)
想像以上に面白く、好戦的な己には相性の良いものだと実感した。
早いところ手にしたいものだが、まずは目前の戦を楽しんでからにしよう。そうしよう。
白州でやろうものなら損害が出るので抑えなければならないが、ここ青州では好き勝手に出来る。多少のお咎めなど取るに足らないこと。
(お楽しみは後にとっておくさ。略奪ってのは時間を掛けた方がおもしれぇ)
麟ノ国第一王子リャンテは、あの子どもが懐剣であることを、しかと見抜いている。