この世とは思えない、美しい体毛を持った麒麟はこの場にいる者達の目にしかと映っているようで、人間らは畏れの声を漏らしていた。
そんな麒麟と共に、ユンジェは走り出す。
向かった先はティエンを囲もうとしている愚かな兵達の下。
所有者を傷付けることは、懐剣であるユンジェが、なんびともたりとも許さない。
馬に飛び乗ると、恐怖に引き攣る乗り手に冷笑し、懐剣を逆手に持って容赦なく首を斬りつける。
返り血を浴びたところで、次の馬に飛び移り、顔面に向けてそれを突き刺した。
落ちていく人間を一瞥することもなく麒麟の隣に戻ったユンジェは、ティエンの周りに兵がいなくてなっても、なお敵を探しては走る。
大慌てでティエンがユンジェの体に縋り、もういいと訴えても、子どもは恍惚な眼を作り、口角を持ち上げて主張する。
「リーミンは所有者を守るために存在する者。次なる時代の王を導く者。懐剣となった者。そのお役を果たすため、下僕めは王の災いを払いましょう」
ああ、でも困ったことに、目の前のピンイン王子は主君ではない。所有者なのに主君ではない。
かといって、セイウは主君なのに所有者ではない。これでは懐剣としてお役を果たせない。
そこでユンジェは、空っぽの心で尋ねた。まこと懐剣の主は、自分の主君は誰なのか、と。
「麒麟の使いリーミンは、その者に従いましょう。導きましょう。守りましょう。麒麟と共に」
青褪めたティエンが、気をしっかり持つよう訴える。お前はリーミンではない。農民の子ユンジェだ。自分の家族であり弟だ。下僕ではない、と。
だが、今のユンジェに意思などない。心もない。命じられるまま動く、ただの下僕であった。主君の命令にたいへん忠実であった。ゆえに心を捨てた懐剣と成り下がっていた。
セイウの嘲笑が夜に響き渡る。
「弟! あははっ、弟! ピンイン、それを弟なんぞと、クダラナイもので縛っているのですか! だからリーミンは、まことのお役を果たすことも、真の力を発揮することもできないのですよ!」
命じ、従え、王族の下僕にする。
それが正しい麒麟の使いの在り方だと謳うセイウは、ユンジェを呼びつけた。
己こそが主君だと言えば、子どもはそちらへ体を向ける。ティエンは必死にユンジェの体を押さえつけた。
「可哀想なリーミン。愚弟のせいで、お役の半分も果たせていないだなんて」
セイウは言う。
麒麟の使いは、『王族』の隷属であり懐剣。
ティエンが心を持たせるばかりに、情に流され、それは所有者を守るだけに留まる。本来の麒麟の使いは『王族』を、新たな時代の王とするべく、王座に導く者だというのに。
あまりにも哀れだ。
お役を果たせず、守護の懐剣に留まらせるなど、宝の持ち腐れだ。
なにより、心を持つ懐剣ほど醜いものはない。美と華を持たせるのであれば、懐剣の姿に飾ってやるべきだ。
「恐怖も、自分も、心も捨てた、懐剣のリーミンこそ美しい。それを服従できるだなんて、想像するだけで興奮すると思いませんか。呪われし麟ノ国第三王子ピンイン。我が愚弟」
ティエンの腕から、麒麟の使いが飛び出す。
隣を走る麒麟共々セイウの下へ向かう、あれらはきっと主君となるべき男に従おうとしているのだろう。
脳裏に過ぎる敗北が、ティエンに大きな怒りと憎しみをもたらす。
ふざけるなと思った。
己は懐剣を抜いた子どもを、一度たりとも下僕にしたいと思ったことなど無い。一緒に生きたいと願った。それだけだ。
懐剣を抜いたユンジェとて、自分に生きて欲しいから、それを抜いてくれたのに。
(王族の下僕になるために、あの子は懐剣となったわけじゃない)
ああ、麒麟よ。なぜ、あの子に過酷な使命ばかりを追わせるのだ。そして、なぜ、自分を振り回すのだ。これすらも国のためなのか――だったら。