もし、第三王子ピンインが動いてしまえば、明確に【懐剣の奪還】だとばれてしまう。
 そうすれば、セイウの兵達は懐剣のユンジェの警備をがちがちに固めてしまう。ゆえにティエンには大人しくしてもらいたかった。

 なにより、ティエンの身に災いが降りかかるのだけは避けたい。これがカグム達の意見であった。

 けれども、ティエンも負けじと主張するのだ。
 たかが謀反兵数人の暴動で、兵達の注目を一斉に此方へ向けることなどできない。少々の兵を寄越して、後は守備に回るはず。それでは暴動の意味が無い。

 だったら第三王子ピンインをオトリにし、より多くの兵を動かした方が良い。上手くいけば、兄も引きずり出せるやもしれない。あれは己の命が欲しい者なのだから。

「カグムとティエンさまの口論が勃発したのは、時間の問題だった。凄まじかった。誰も止められなかった。恐ろしくて口も挟めねーんだよ」

 ユンジェは冷汗を流した。よりにもよって、カグムとティエンがぶつかったのか。

 結局、ティエンが折れなかったので、カグムは仲間内に取り押さえさせ、半ば強制的に決行したのだという。
 今頃、彼は間諜の隠れ家に軟禁状態だろうとのこと。
 ユンジェとハオは顔を見合わせ、地面に目線を落とす。しばし沈黙が流れた。

「助けてくれて、ありがとうな」

 ユンジェは話を替える。
 ティエンのことは再会した時に、うんと悩もう。心配を掛けたことも謝らなければ。連行されたことは不可抗力であるものの、彼に多大な心労を掛けたこともまた事実。詫びは必要だろう。

 同じようにハオ達には感謝を述べなければ。

「てめえが懐剣じゃなきゃ、普通に見捨ててたよ。俺はガキなんざ大嫌いなんだ」

 ぶっきら棒に言い放つハオが、しっしっと疎ましそうに手で払ってくる。礼は不要らしい。

 けれど、ユンジェは彼等に助けられている。それは今回だけに限った話じゃない。先ほど庇われたこともあるので、やっぱり、ありがとうは言っておくべきだろう。

「ハオって意外と強いんだな。見直したよ。俺、お前のこと弱いと思ってたから」

 小生意気に笑ってやると、「ブッ飛ばすぞ」と、耳を引っ張られた。痛い。

「弱く見えるのは、てめえが卑怯な手ばっか使うせいだろうが」

 しょうがないではないか。
 卑怯な手を使わないと、ユンジェに勝ち目などないのだから。
 解放された耳をさすっていたユンジェだが、差し込んだ月明かりで、ハオが傷を負っていることに気付く。双剣を持っていた両手の甲が切れていたのである。

 視線を感じ取ったハオが、さっさと外衣の中に両手を隠してしまう。

「それ、俺を庇った時に?」

「あんだけ兵を相手にしてたんだ。いつ負ったかなんて忘れた」

 うそだ。ユンジェは彼の強さを目にしている。きっと、己を庇った時に切ったのだろう。

「ごめん」

 重くなる空気に耐えられなくなったのか、かすり傷だとハオが怒鳴ってくる。そんなことで一々落ち込むなと叱咤するが、罪悪感はこみ上げるばかりだ。

 ふとユンジェは思い出したように、腹に巻いていた衣装を解くと、道具の中からハチミツの入った小壷を手に取った。

「ハオ。ハチミツがあるぜ。確かこれって、塗り薬の代わりになるんだよな?」

「てめ……なんで、そんな高価なもん持ってやがるんだ」

「部屋にあったんだ。お茶っ葉や筆、櫛、紅なんかもあるよ。燐寸(マッチ)も持ってきた。使えそうなもんは、片っ端から持っていこうと思って。ほら、手を出してよ」

 あからさまに嫌な顔をして、ユンジェの厚意を拒絶するハオだが、こちらも譲る気はない。無理やり手を引っ張り出すと、傷に薄くハチミツを垂らした。
 本当は水で傷を洗った方が良いのだろうが、川の水が澄んでいるかどうか、些か不安であるため、洗うことは断念した。