「リーミンが寝付くまで、傍にいてやってくれ。念のため、もう数人、声を掛けてくる。この騒動だ。人の目は多い方が良い」


 人の目が多い方が良い。

 やはり何か遭ったのだろう。ユンジェは気になって仕方がない。もし、その騒動にまぎれることができるのならば、利用しない手はないだろう。

 とはいえ、これは芳しくない展開だ。
 従僕が部屋にいては身動きが取れなくなってしまうではないか。せっかくひとりになれたのに。追い出す手を考えないと。

「さあ、リーミン。お部屋に戻りましょう。まずはお召し物を替えましょうね」

 ユンジェは冷汗を流す。寝衣はすでに見るも無残な姿になっている、なんて口が裂けても言えない。

 その時であった。

 従僕らを呼ぶため、踵返した見張り兵がうめき声を上げて倒れてしまう。
 何事か。ユンジェと従僕が振り返った瞬間、扉の手前にいた従僕が息を詰め、その場に崩れる。血の水たまりが目についた。彼らが襲われたのは明白であった。

 恐ろしさに足を竦めていると、向こうにいた人間に首を掴まれる。強引に部屋に連れ込まれるや、背後から刃物を当てられた。確認も暴れる間もなかった。

(な、なんだよ。いきなり)

 身を震わせるユンジェに、「おとなしくしろ」と、低い声で脅される。
    
「ここに、てめーくらいのガキがいるはずだ。どこにいる。懐剣って呼ばれているガキだ。下手なことすると、命はないと思え」

 聞き覚えのある不機嫌な声に、ユンジェは目を見開く。もしかして。

「ハオ? その声はハオなの?」

 希望を胸に抱えて、その人間に尋ねると、「は?」と、間の抜けた声が聞こえた。
 やっぱりそうだ。絶対にそうだ。ユンジェは緩んだ腕を押し上げ、振り返って満面の笑みを浮かべる。

 そこには、呆けた顔で己を見つめてくる、謀反兵のハオが立っていた。

「ハオじゃんか! 来てくれたんだな!」

 大喜びするユンジェを、ただただ見つめ、彼が指さした。

「お前……まさか、クソガキ?」

「どうしたんだよ。寝ぼけてるのか? ハオを(すき)で殴り飛ばした、農民のクソガキだよ」

 やっと信じたのだろう。ハオは素っ頓狂な声を上げ、ユンジェに「お前。誰だよ!」と言って、まじまじと凝視してくる。

「まるで別人じゃねーか。てめ、少し見ない間に何があった。は? 化けてるわけじゃねーんだよな? なんだ、その小綺麗な姿。貴族か!」

「贅沢の力ってすごいよな。俺も鏡を見ると、他人に思えて気持ちが悪くなるよ。でも、中身はちゃんとしたクソガキだから。リーミンだから」

「リーミン?」

「なんだよ。クソガキの名前も忘れちまったのか」

 呆れるユンジェに、「いやお前」と、ハオが戸惑った様子を見せる。どうしたのだろうか。ユンジェは首を傾げた。

「取りあえずハオ。懐剣の紐を切ってくれ。セイウがティエンの懐剣を使えなくしているんだ」

「あ、ああ。待ってろ」

 双剣のひとつで懐剣の紐を切ってくれたおかげで、ユンジェはティエンの懐剣をふたたび鞘から抜くことが叶った。
 やはり懐剣といえば、セイウの懐剣より、ティエンの懐剣だと心の底から思う。

「下が騒がしいようだけど、この騒動はハオ達が? ティエンもいるの?」

 帯に懐剣をたばさみ直すと、扉の向こうを警戒しているハオに視線を投げた。

「いや、今回はおとなしくしてもらっている。あー……おとなしくしてもらってるかな」

「目が泳いでいるけど」

 ハオが目を逸らし、咳払いをした。

「とにかく、これはカグム率いる謀反兵の暴動だ」

「どういうこと?」

「説明している暇はねえ。カグム達がオトリになっている今のうちに、客亭を離れるぞ。ちっ、それにしてもなんて兵の数だ」

 回廊から無数の足音。
 途絶えることのない足音に、ハオが舌打ちをしている。
 音で判断する限り、兵は未だ上の階にもいる様子。彼は見つからないよう、回廊を駆け抜けたいようだ。

 そこでユンジェは自分に考えがあると言って、衣装箪笥へと走った。