ユンジェの身柄は日の出と共に、東の青州へ移されるそうだ。

 どうやらセイウは、一刻も早く懐剣を宮殿に飾りたいようで、出発の時間を早めるよう近衛兵のチャオヤンに命じていた。
 第三王子ピンインの捜索は、兵を残して続行する模様。ピンインの首より、懐剣に気持ちが傾いているのだろう。

 制限時間が定まった今、ユンジェは一刻も早く逃げ出す隙を見つけなければいけない。

(俺はまだ、正式な懐剣になったわけじゃない。逃げられるはずだ)

 服従を示したユンジェは、宣言こそしたものの、まだ正式なセイウの懐剣ではない。鞘か完全に抜いて、それはまことのものと思っている。
 ゆえにユンジェとセイウの関係は、ティエンとユンジェの関係に比べて薄く、いざとなったら後者の所有者のために走れるとユンジェは考えていた。

 王族のセイウに剣こそ向けられないものの、きっと逃げ出すことくらいできるだろう。

(そのためにもまずは……この状況を乗り切らないと。もう勘弁してくれよ。服従を示すより、こっちの方がよっぽど地獄で屈辱的なんだけど)

 ユンジェは疲労まじりのため息をついた。周りを見ては気が滅入っていた。
    
 原因は従僕と侍女にある。夕餉が始まってから、これらがぴったりと張り付いて離れてくれないのだ。

 それだけなら、落ち着かないの一言で済ませられるのだが。

 ユンジェは遠い目で目前の料理を見つめた。そこには沢山の皿。織金の上に所狭しと置かれている。一週間分はあるのではないだろうか、この食事の量。

 魚の切り身の咀嚼を終えて、お茶の入った器で喉を潤すと、傍にいた侍女が頃合いを見計らって、レンゲを口元に運んでくる。そこには白粥が掬われていた。

 げんなりと肩を落とすと、他の侍女と入れ替わって、半分に割った焼売を箸で差し出してくる。後ろでは従僕達が果実茶を淹れていた。すごく忙しない。

(自分の手で食べたい)

 ユンジェはひとりで食べられる手を持っているのだが、大人達はなぜか、箸を持つことを許してくれない。
 箸を取ると「はしたない」と窘め、取り上げられてしまった。ゆえに、ユンジェに許される唯一の行為は、自分でお茶を飲む。それだけ。

(俺は赤子じゃねーんだぞ)

 湯殿でも散々な目に遭ったというのに、夕餉でもこの仕打ち。

 追い撃ちを掛けたのは、今しがた行った便所である。

 なんと、従僕達がついて来たのだ。ユンジェはひとりで用を足すことすら許されないというのだろうか。
    
 それとも、これが王族の常識? どちらにしろ、農民のユンジェにとって、ここは地獄であった。

 あまりにもつらいので、ユンジェは平民である身分を告げ、世話を焼かれるような身分ではないと言った。遠回しに放っておいてくれ、と頼んだ。

 返ってきたのは、明るい言葉であった。


「リーミン。確かに貴方の身分は平民でしょう。しかしながら、セイウさまの懐剣である以上、我らより高い身分にいる。どうぞ安心して下さい」


 この返事に泣かなかったユンジェは、自分をとても強い人間だと褒めたくなる。ああ、身分を弁えろと言ってきた、謀反兵達の方が、ずっと優しいと思える。ユンジェは心の中で嘆いた。クソガキだと罵られていた、あの時間が恋しい。

 隣を一瞥すると、真横でセイウが酒を口元に運んでいた。
 至近距離にいるので、下手な行動は取れない。男は大層ご機嫌になっているが、酔い痴れているわけではない。
 時折、ユンジェを観察して細く笑ってくる。目論見を抱えているのは一目瞭然である。肚の黒い男だ。

 目が合う度に、へらりと馬鹿っぽく笑みは返しているが、はてさて先に食われるのはどっちか。

(やりにくい相手だな。浮かれているくせに、冷静な目を持っているんだから)

 横から手が伸びてきた。目を向けると、髪を触られる。