「あのガキに死なれちゃあ、俺達も困るんだよ。あれは麒麟から使命を授かった者。それがホウレイさまの手元にあれば、謀反も円滑に進む」

 二人の間に冷たい山の夜風が吹き抜ける。感情を押し殺し、ホウレイさまの手元の意味を尋ねると、彼は含み笑いを浮かべた。

「あれは玄州に着き次第、ホウレイさまに献上する。そうしたら、お前はおとなしく謀反に乗ってくれるだろう?」

「ユンジェを物のように扱うつもりかっ、貴様」

「お前の懐剣になった時点で物になったも同じだろう。あいつは自分が人間であることを、時々忘れるみたいだからな。人間だと思うんなら、せいぜい所有者のお前が思い出させてやれよ」

 暗い山道を歩き出すカグムの嫌味ったらしい指摘に、反論の言葉が見つからない。間髪容れず、彼は言葉を重ねた。

「ピンイン。お前は王族だ。名を変えようが、農民を名乗ろうが、その運命からは逃げられねえ。早いとこ観念するんだな。俺はお前を何度も逃がすほど、甘くはねーぞ」

 通告か。忠告か。それとも警告か。
 いや、違う。これは宣戦布告だ。だったら、受けて立とう。誰彼に言われて流される人生など、もうまっぴらごめんなのだから。

「だったら、力づくで諦めさせてみろ。ティエンはピンインと違い、簡単には屈せぬぞ」

 ティエンとして宣戦布告を返すと、振り返ったカグムが目を細めて笑った。

「やっぱ可愛げがなくなったよ、お前。ティエンとは気が合いそうにねえや。けど、個人的には威勢があって良いと思うぜ。しごく人間らしいよ」

 彼が語気を弱めたせいか、ティエンの耳には途切れ途切れにしか届かない。

「まっ。ガキを献上されたくなかったら、俺の首でも討ち取るんだな。『ティエン』さま」

 これは語気を強められたので、しかと聞こえた。
 首を洗っておけ、と軽く返しておく。討ち取ることで未来が切り開けるのであれば、なんだってやってやるさ。なんだって。

「一つ聞く。カグム、貴様はなぜ国に逆らう側に回っている。私を討ったことで、クンル王から地位や名誉を授かっただろうに」

 返事が来るまで、しばし時間を要した。

「ピンインと過ごした六年間は、あまりにも長かった。良くも悪くも」

 前を向いて歩くカグムの表情は見て取れない。それでいい。見る勇気など持てなかった。

「俺はお前を斬ったことに後悔はしていない。天士ホウレイさまの下についたことも、一年間諜をしていたことも。そして、いまお前と再会していることも」

 まったく答えになっていない。
 自分に理解できぬよう、カグムが言葉を濁していることは手に取るように分かった。ああ、未練ったらしく、どこかで真実を知りたいと思う己がいる。いつか、彼の真実を知る日は来るのだろうか。


 ティエンは視線を横に流す。
    
 そこには、一輪のしるべの草が、風に身を揺らしていた。探し求めていたカヅミ草だ。急いでそれに近寄れば、点々した光が下の傾斜へ向かって続いている。

 下を覗き込めば、数え切れないほどのカヅミ草が集まっていた。花畑だ。
 ティエンは目を輝かせ、頭陀袋から布縄を取り出すと、近くの木に結び付けた。様子に気付いたカグムが、その縄を貸すように言ってくるが、「私の方が身軽だ」と返事して、腰に縄を巻きつける。

「おいおい。お前は怪我を負っているんだぞ。その腕で下に行くのかよ」

「引き上げる時は声を掛ける」

「そうじゃなくて……あーあ、行っちまいやがった。ほんと、ユンジェのことになると突っ走りやがって――お前、もしもユンジェを失ったら、どうなるんだろうな」

 布縄を伝って花畑に下り立ったティエンは、両の膝を折った。
 そこはとても幻想的で、月よりも明るく、松明よりも明度の低い光を放っていた。白い花弁達が、それぞれ発光しているカヅミ草は、まさしく『しるべ』に相応しいもの。


(これがユンジェの命を救ってくれる。私はあの子を助けられる)


 ティエンはカヅミ草を愛おしげに摘むと、衣の袖で軽く目元をこすった。