もし、王子がおとなしく小屋で待っていれば、このような面倒な事態に発展しなかった。慣れている者が動くべきであったのだ。

 止血を終えた彼はティエンの肩を掴み、現実を突きつける。

「今のお前は、少々自分を過信している。道を引き返した時もそうだ。なんで、自らの手で兵を討った。俺達に任せれば良かっただろうが」

 誰の手も借りず汚れ役を買うことで、成長と強さを誇示したかったのか。意地を張ろうとしているのか。
 だったら、なんの自慢にもならない。ティエンのしたことは、ただの人殺し、強さの象徴ではない。王族にすることではないのだ。カグムは語気を強めた。

「今まで箱庭にいたお前は、少しできるようになったからって勘違いしているんだよ。ピンイン、お前は弱い人間なんだ」

 静聴していたティエンは小さく噴き出す。この男は何を言っているのだろう。

「カグム。貴様こそ何を勘違いしている。自慢? 意地? 私はただあの子と生きようとしているだけだ」

 兵をなぜ討ったか? 決まっている。討たなければ、自分とユンジェの身が危なくなるからだ。
 なぜ、動き回るか? 勿論、あの子を救いたいためだ。
 弱い? 百も承知だ。ティエンは弱い人間だ。足手まといだということだって知っている、

 カグムに言われずとも、すべて分かっている。
    
 ティエンはとても弱く、力のない人間だ。それでも足掻かなければ、何も得られないと知っている。

「私は己の力量を知っている。だから事あるごとに工夫しているんだ。それを過信とは……私をなんだと思っているんだ」

 何もできない人間とでも? ああ、そうだ。この男はそう思っていることだろう。

「確かに、私は今まで知らなかったよカグム。食事は待っても、誰も与えてくれない。喉が渇いても、水は降ってこない。起きたところで美しい衣を着せてくれる人間などいない」

 そういう生活にいたティエンは、本当に何も知らなった。自分がずっと生かされている、ということに。

「そうだ、私は生かされていることすら知らなかったんだ。これが貴様の知る第三王子ピンインだ。哀れだろ、無様だろ、扱いやすかろうっ……まんま生きた人形だっ!」

 ティエンは握り拳を作る。
 振り返っても、あの頃の己は手間も世話も焼かせることなく、誰彼にうんっと頷くばかりの人間。さぞ扱いやすい人間だったことだろう。ああ、なんて、つまらない人間なんだ!

「そんなピンインにお前がトドメを刺し、ユンジェがティエンを生んだ。あの子はいつも言ってくれたよ。何もできない私に、『ティエンならできる』と」

 ティエンは本当に何もできない人間であった。
    
 火の熾し方も、刃物の使い方も、針に糸を通すことすらも。何もかも王族だとか、身分だとか、危ないだとか、なにかと理由をつけては遠ざけられていた。

 そんなティエンはユンジェと暮らすことで、自分自身のことを知る。不器用であることも知ったし、無知であることも知った。何もできない人間だと痛感した。

 しかし、ユンジェは『やったことないだけだろう』と笑い、事あるごとに生きる術を教えてくれた。
 上達すると褒めてくれたし、できなかったらできるまで丁寧に教えてくれた。やればできる人間だと自信もつけさせてくれた。

 だからティエンは、何もできない人間から、やればできる人間になった。誰かに生かされる人間から、自分で生きようとする人間となった。
 力が無い、だから嘆くではなく、無いからよく考えて動くようになった。

 それが今のティエンだ。顔色ばかり窺うピンインなんぞ、もうどこにもいない。

「あの子と生きたいから、私は汚れたことでもなんでもする」

 それに成長だの、強さだの、できるようになっただのと綺麗ごとを述べるつもりもない。少しでも生きたいから、生きるようと足掻く。それだけだ。


「カグム、貴様とてそうだろう? 国を守りたかったから、自分が生きたかったから、私にトドメを刺したのだろう?」


 同じではないか、カグムとティエンのしていることは。それを過信だのなんだのと責められる覚えなどは無い。

 強く主張すると、圧倒されていたカグムが苦笑する。やがて、彼は脱力したように肩を落とすと、「扱いづれぇの」と悪態をついた。

「あの頃のピンインと、えらい違いだ。顔は変わらず綺麗なのに、口は強くて生意気。おまけに態度は悪いときた。いつも俺の後ろをついて回った姿がまるでねえ。可愛げがねえ」

「何が言いたいっ」

「べつに。ティエンのお前とは、ちっとも気が合わないと言いたいだけだ」

 カグムは己の着ていた外衣を取ると、ティエンの肩に掛けて紐で結んだ。

 それを取っ払う間もなく、彼は着ておけと命じてくる。
 夜の山は冷え込む。傷を負った者にとって、その冷えは体調を崩す原因になると説明し、彼はすくりと立ち上がった。

「時間がねえ。小屋へ戻る道を探す。その合間にカヅミ草も探すぞ」

 急に指揮を取られたので、思わず訝しげな顔を作る。
 そんなティエンに、「ユンジェが死ぬぞ」と、カグムは言って太い枝を拾った。それに裂いた外衣の余りを巻きつけると、貴重品の燐寸(マッチ)を頭陀袋から取り出し、火をともした。