たくさん食べれば、体力がつく。自分は飢えに強い。そんなことを言って、我慢ばっかりして。本当は腹いっぱい食べたいくせに、ティエンの面倒を甲斐甲斐しくみてくれて。
(でも本当は)
ティエンは知っている。
身寄りを失い、天涯孤独になった子どもは、夢を見ては爺を想って泣いていた。ひとりにしないで、と寝言を呟いていた。
本当のあの子は、とても寂しがり屋で孤独なのだ。
そんな子に巡り合えたティエンは、いま、あの子の兄として走っている。
(私はユンジェのように、器用ではない。大した知識も知恵もない。それでも)
健康な手と足がある。目と耳だってある。あの子のために、何かしてやれることがある。
(必ずやユンジェを救う。私はあの子を生かす。絶対に)
道すがら、迷わないように木の幹に大きな×印を付け、枝に布きれを巻く。
ユンジェは言っていた。夜の森はたいへん迷いやすいので、目印ひとつでは見逃す可能性がある。必ず二つ以上、違う目印をつけるように、と。
これで木の幹の印を見逃しても、上の枝を見れば、布が道を教えてくれる。
そろそろ、帯に挟んでいる松明を点ける頃だろうか。ちらりと視線を下げると、視界の端でぼんやりと光る物を捉えた。もしかして。
(ここは傾斜が急だから、慎重に動かねば。滑らないように、滑らないように)
木から木へと伝い、急となっている斜面を覗き込む。
そこには夕陽を浴びなくなったカヅミ草が、藪の擬態をやめ、仄かに花弁を光らせていた。
ティエンは思わず、笑みが零れる。これは幸先が良い。もうカヅミ草を見つけることができるなんて。
(しまった。ハオにいくつほど摘めば良いか、聞くのを忘れたな。下に見えるのは、三本程度。さすがに三本じゃ足りないよな)
最低でも十は摘んでおきたいところ。数が多い方が、煮だす薬の効き目も強そうだ。
(まずは三本確保だな。しかし、あれをどうやって摘もうか。そうだ、確かユンジェが作ってくれた縄が)
ぬっ、と背後から伸びた手がティエンの肩を掴む。そのせいで、間の抜けた声を出してしまった。
振り返ると、忙しなく肩を動かしているカグムが、疲れた顔で見つめてくる。
「はあっ、はあっ。やっと追いつきましたよ。ピンインさま。いきなり飛び出さないで下さい。さあ、戻りましょう」
「カグムっ、また邪魔をしに来たのか。私はカヅミ草を探しに来たのだ。見つけるまで、戻るわけないだろう」
「そういう仕事は下々の役目です。王子の貴方様がすることではございません」
また身分の話か。ティエンは苛立ちを覚えた。
「ふざけるな。ユンジェは私の弟だ。あの子が苦しんでいるのに、何もせず天に祈れと言うのか。それでユンジェが助かるわけがないだろうっ!」
ティエン自身は健康だ。熱もなければ、怪我も負っていない。なのに、王族だから座っていろ、なんて納得がいかない。
だいたい、命が懸かった薬草探しを、下々の仕事とはなんだ。
ユンジェの薬草探しは、身分の低い者がすべきだと考えているのか。あの子の命とはそんなものなのか。
だったらティエンとて、今は農民だ。卑賤の身だ。王族を追われた自分が、今さら王子に戻れるわけがない。
「何をすれば、貴様は口出しをしない。平伏でもすればいいのか? だったら、いくらだってしてやる。私に王族の誇りなど持ち合わせていないのだからな」
「これから王座を目指すお方が、それではいけません」
「それは貴様らの勝手な都合だろう! いつもそうだ。勝手な都合で私を谷に突き落とし、勝手な都合で私を救おうとする」
もう、いい加減にしてくれ。王族の都合に振り回されるのも、謀反を目論む者に持ち上げられるのも、ティエンは疲れてしまったのだ。
肩を掴むカグムの腕を強く弾くと、相手をぎっと睨んだ。
「ピンインさまっ、ここで暴れないで下さい」
カグムの注意すら耳に入らない。完全に頭に血がのぼってしまった。
「その名で呼ぶな! 私はティエン、ピンインなどではないっ」
自分は王子ピンインに戻りたくない。農民ティエンのままでいたい。