来た道を戻った馬達は、迂回路を通りながら青州の関所を目指して、半日走り続けた。

 本当はすぐにでもユンジェを休ませたいところではあったが、万が一のことがある。知将を撒けたと確信を持てるまでは、王族の兵達から距離を置きたかった。

 時々心配になって、ティエンはユンジェに声を掛ける。
 熱に魘される子どもは返事代わりに、苦しそうに笑ってくれた。辛抱してくれているのは、一目瞭然であった。

 山に入り、ようやく身を隠せそうな場所を見つける。
 運が良いことに、そこは無人の小屋であった。木こりでも住んでいたのだろうか。暮らしていた形跡こそあるものの、家主の姿は見受けられない。
 中も外も荒れていたので、おおよそ追い剥ぎに襲われたのかもしれない。

 今晩の寝床が決まったところで、ユンジェを寝台に寝かせる。やや埃っぽかったので、寝かせる時は外衣を敷いた。

「ライソウ。シュントウ。悪い、周りに王族の兵がいないか偵察に行ってくれないか」

 そんな声を背後で聞きつつ、ティエンはユンジェの額に滲んだ汗を濡れた布で拭ってやる。
    
 横になることで、怪我人の苦痛帯びた表情が少しだけ和らいだ。やはり、長時間の馬の移動はつらかったのだろう。顔を紅潮させ、しきりに水を求めた。

 けれど自力で飲む力はなく、口元に運んでもこぼしてしまう。

「てぃえん……(じじ)……どこ……」

 ユンジェは昏睡に入っていた。
 うわ言をもらし、苦痛から逃れるように誰かの名前を口にする。ティエンがここにいるよ、と手を握っても、子どもは熱に魘されたまま怯えを見せる。
 ひとりにしないで、と呟く声は、ユンジェの幼い心そのものだろう。

 いつもの気の強さや、背伸びする小生意気さはどこへやら。

「苦しいなユンジェ。そこは暗くて、つらくて、怖いな」

 手を握ったまま腹を叩き、子どもを落ち着かせてやる。
 大丈夫、と言い聞かせてやると、少しずつうわ言が消えていった。声が届いたのだろうか。そう信じたいものだ。

 患者を診ることのできるハオは、ずいぶんと頭を抱えていた。
 彼が手を尽くしているのは見て取れるが、それでも現状は思わしくないのだろう。己の持つ薬や、薬草を並べ、唸り声ばかり漏らしている。

「見ての通り、ガキは芳しくありません。熱が下がる様子も見られない。傷の炎症による熱は、非常に厄介です」

 元々ユンジェの傷は深く、出血も多かった。
    
 なのに回復を待たず、馬での移動、連日の野宿、最低限の薬のみ。ハオからして見れば、過酷な環境の中、よくここまで持っている方だと唸る。

 彼は元看護兵。傷による感染症で命を落とす人間を何人も見てきている。

「最後まで責任は持ちますが……どうぞ、御覚悟はしておいて下さい」

 今日明日が峠だろう。ハオは言いづらそうに、けれどハッキリとした声で告げた。
 思いの外、動じることはなかったティエンは、本当に八方塞がりなのか、と尋ねる。よく考えれば、まだ子どもを救える。そんな気がした。

 すると彼は、これまた躊躇いながらに、薬草の中から一本の花を取り出す。
 それは花びらがひし形になっている、少し変わった形をした花であった。穢れを知らない、白色をしていた。

「カヅミ草と言います。この花弁は解熱剤として利用されているもので、これを煮詰めてガキに飲ませれば、高熱も下げられるやもしれません」

 しかし。手持ちにあるカヅミ草は二本、とうてい足りないとハオは目を泳がせた。
 幸い、この薬草花は年中咲いており、ここ紅州の山地にも生息している。きっと、この山のどこかにも咲いているだろうとのこと。

 問題は咲く時間だ。


「カヅミ草は別名しるべの草。夜になると花開き、発光するのでそう呼ばれています。またの名を擬態草。日中は木や草に擬態し、姿を晦ませてしまうんです」