……望月が片手に持っていたビニール傘が、道端に転がった。

彼女の温かい手が、俺の顔を挟んで、パシンと小さく音が響いた。

彼女の瞳と、真っ直ぐに視線が重なり合って、ようやく今の世界と焦点があったような、そんな感覚に陥った。


「自分を呪うのは、やめてほしい……」

それは、この距離でも聞き取ることが難しいほど、震えた小さな声だった。

傘を持たない彼女に髪は、みるみるうちに濡れていく。


「星岡君が自分を呪う限り、来栖先輩も自分を呪わなきゃいけない……一生妹の代わりに星岡君のことも恨まなきゃいけない。そんな悲しいこと、きっと誰も望んでない……」

「でも俺は……」

「雛ちゃんもきっと、好きな人には幸せになってほしいって、思ってるよ……。星岡君は、それが唯一できる償いだと思って、意地でも幸せになってよ……っ」


……でも俺は、この罪悪感を忘れることはできないよ。きっと一生、抱えて生きていく。


でも、このままだったら、俺は雛の存在自体を呪いとしてしまうのだろうか。

雛と遊んだ楽しい思い出も、全部思い出したくないこととして胸の奥の奥にしまってしまうのだろうか。


そんな悲しいこと、雛や翠は望んでいるだろうか。


『なにも進めたくないし、止まっていたくもないんだけど、まずは今まで通りの生活をしなきゃって思って……』。


ふと、翠の寂しげな言葉が頭をよぎる。

……そうか、俺たちは、忘れちゃいけないことも背負って、進まなきゃいけないんだ。

そのことに、翠はきっともう、気づいている。


ずっとぐずぐず立ち止まっていたのは、多分俺だけで。

こんな俺を見たら、雛はなんて言うだろうか。怒るだろうか、泣くだろうか。


「俺が幸せになることが、本当に雛の望んでいることなのかな……」

ぽつりと俺が呟くと、望月が途方もない答えを求めているように、遠くを見つめた。

「そう言ったら綺麗に聞こえるけど、もし自分が天国にいて、好きな人が自分のせいで泣いているところを見たら、背中をさすることもできない自分が悲しくなると思う……。星岡君は、どう思う?」

その質問に、俺は小さく頷いた。

……うん、俺も、そう思う。

だったら、これ以上、雛に悲しい思いは、してほしくない。


「……望月、雨、濡れてる」

俺はそっと彼女に傘を傾けて、青い傘で雨を弾いた。