麦茶を出すと、凪はごくごくと飲み干した。

「で、どうしてくるみはあんな怖い顔で自転車に乗ってたの?」

お代わりを注いであげていると、凪が聞いてきた。

「え?」

「遠くからでもわかるくらい、どんよりしたオーラが出てたけど」

その言葉に笑ってしまう。わたしは簡単にスーパーでの話を凪に教えた。

「わたし、お母さんのことなにもわかってあげてなかったんだなーって思ってさ」

「うーん」と凪はつぶやいた。

「翔(しょう)くん、東京に行ってどれくらいだっけ?」

「わたしが十歳の時だから、もう五年以上になるかなあ」

歳の離れたお兄ちゃんは、わたしにはとても優しかった。家に凪が遊びに来た時には一緒にゲームをしたり、たくさん遊んでくれた。

「なにしてるか、手がかりもないの?」

「専門学校を出て就職したとこまではわかってるんだけど、その後就職した会社がかなりブラックだったみたいで、すぐ辞めちゃったんだよね」

なにか大きなことをやってやると豪語していたお兄ちゃんだったけれど、やっぱり東京はそんなに甘くはなかった。安いお給料で死ぬほど働かされて、お兄ちゃんは嫌になってしまったらしい。
久しぶりに電話があった時、仕事を辞めたいと相談してきた。

それを聞いたお父さんは、そんなお兄ちゃんを鼻で笑った。

『ほら、やっぱり続かないじゃないか。半年で仕事を辞めるような奴が、これからなにができる?』

お父さんは高校卒業してずっと郵便局員としてコツコツ働いてきた人だから、“一発当ててやる”みたいな発想を嫌っている。

でも、あれはないとお母さんはずっと怒っていた。

「お兄ちゃんが『もういい、わかった』って携帯を切ってからは、電話をしても留守電ばっかりになっちゃって。心配したお母さんが寮に様子を見に行った時はもう会社を辞めて寮も出た後だったんだよね……」

携帯も解約されていることがわかって、お父さんは激怒した。

『そこまでするってことは、親を捨てたってことだ。こっちからお願いして、家に戻ってもらう必要なんてない』

そう言って、それ以上お兄ちゃんを探すことを禁じた。

その時、お兄ちゃんはもう二十歳を過ぎていたし、十分大人だった。

お兄ちゃんのやり方は確かに子供じみてるとわたしも思った。
もちろんお父さんの言い方に頭にきたんだろうけど、でも勝手に携帯まで解約して、連絡先も教えてこないなんてやりすぎだ。

お母さんも頭ではそれをわかっているから、お父さんの言う通りにしたんだろう。
探そうと思えば、いくらでも手段はあったに違いないけれど、お父さんに従った。

でも、やっぱり会いたいという気持ちが消えることはなかったんだなとも思う。

「やりたいことがあって出ていく人を引き止めるのは難しいよね……」

凪がポツリと言った。

「おばさんの気持ちが一番わかるのは、僕かも」

わたしがなんて返していいのかわからなくて黙っていると、凪が笑った。

「ここ、笑ってほしいところなんだけど」

「あ、そう? 笑っていいのね」と言いつつも、確かにお母さんが抱えている本当の寂しさや苦しさは凪にしかわからないのかもしれないと思った。

その時、テーブルに置いた郵便物の中に、かわいらしいピンクの封筒があることに気がついた。
女性特有の丸みを帯びた文字で【西村(にしむら)家の皆様】と書かれている。

わたしはそれを取り上げると、差出人を見た。【西村玲(れい)美(み)】とだけ記されていて、住所はない。