八月に入ると気温が一気に高くなり、三十五度を超える猛暑日が続いた。

こんな時期でも夏野菜を栽培するおじいちゃんの畑ではやらなくてはいけないことがたくさんある。朝晩の水やりは欠かせないし、収穫し時を逃すと売り物にならなくなってしまう。
九月に出荷するかぼちゃの様子のチェックもあるし、ここら辺の農家の八月は繁忙期なのだ。

わたしも週の半分は顔を出して、おじいちゃんや凪を手伝った。

本当はもっと通いたかったのだけれど、それでなくても悪いお母さんの機嫌が最悪なことになりそうなので、意識してそれくらいに抑えていた。

時々、ぶっちーがコンクリートの上で寝そべったていたり、庭を横切っていくのを見かけた。でも、凪はその存在に気づかなかった。愛情がないものに対して、人間はこんなにも無関心になれるのかと思うほどだった。

でも、しょうがないことだった。愛情がなくなったのでも心変わりしたのでもなく、ぶっちーの記憶自体がないのだ。あまりに冷たいじゃないかと、凪を責めることはできない。

ぶっちーに朝晩あげていた食事の担当は、おじいちゃんが代わりやるようになった。
わたしがいる時には、わたしが代わりに持っていってあげることもある。

ぶっちーは用心深いけれど、それでもわたしをえさ担当として少しは認めてくれるようになったらしく、近づいてくるようになっていた。

わたしはご飯を食べるぶっちーの頭を撫でた。

「お前、かわいそうにね。忘れられちゃって」

ぶっちーは凪に忘れられてしまっても、それでも凪の猫だった。凪が帰ってくるとどこからともなく現れ、ニャアと鳴いた。

今までだったら、それに応えて凪は必ずしゃがみ込み、ぶっちーの体を撫でてやっていたのに、今では凪はぶっちーの鳴き声に気づかず、足早に家に入ってしまう。

気のせいか、戸惑ったような顔で見送るぶっちーの姿が切なかった。

一方わたしは、手紙にまつわる凪の能力のことを知って以来、ひとつものすごく納得のいくことがあった。それは、凪がおばあちゃんの仏壇に向かう姿だった。

おじいちゃんの家にいると、おじいちゃんがとれたての野菜や果物を仏壇にお供えすることがあった。そして、短い時間だけれど、心を込めて手を合わせる姿をよく見かけた。

おじいちゃんの言いつけで、凪も毎朝、仏壇の水を変え、手を合わせた。
わたしも時々見かけたことはあるけれど、その後ろ姿はおじいちゃんのそれとは全然違って、あくまでも言われたことをやっている習慣のひとつでしかないように見えた。