そんな俺を、雲母は笑った。慈愛は一切感じられない。ただの笑みだ。

「気になさらなくて結構。重要なのは絵の技術や出来映えではありません」
「ならなんで見せたんだ……」
「あなたが気にしておりましたので。しかし、自分を弁えておくことは大切かと」
「身の程を知れと」
「如何にも。申し訳ありませんが、あなたでは一生、紫苑に追いつくことはないでしょう」

あまりにもはっきりと言われ、傷つく余韻もなかった。
自分でもそれはさっき理解したが、こういうところが俺は競争心が薄くてだめなのかもしれない。

「随分、主人を買ってるんだな」
嫌みではない。本心だった。長いため息が出る。
「ええ、生まれたときから存じておりますゆえ。それに、あなたと紫苑では、絵に対する覚悟が違う」
「雲母」
ここで初めて、三日月紫苑が口を挟んできた。
視線をやると、無表情のまま雲母を見つめている。余計なことを言うな、といった感じだろうか。

「失礼、少々話が過ぎました。戻しますが、とにかくあなたに絵を描いてもらわねばなりません」
「あと数日もすれば僕が描ける。そんな奴に頼まなくても」
一度会話に入ったせいなのか、三日月紫苑は静かに語った。そんな奴と言われたことは今は反論しないが覚えておく。

「あと数日、では困るのです。今日、もしくは明日です」
「じゃあ明日描く」
「箸すら持てない人がなにを言うのですか」

ぴしゃっと、切り捨てられた三日月紫苑は、びっくりするぐらいわかりやすく拗ねた。唇をきゅっと結んだ姿ですら、美形は様になるらしい。

「箸すら持てないってそんなにひどかったのか、すまん」
確かにその華奢な身体で男にぶつかられ共に転げたのなら、手首ぐらいあっさり折れそうである。ギプスをしていいる様子はないけれど。

「別にいいと言っている。しつこい」
ようやく俺に対してことばを返してくれたが、相変わらずだった。
「そもそも、こいつに仕事のことを知られて面倒なことになったらどうする」
椅子の肘掛けにもたれて、ふてぶてしく三日月紫苑が言った。その言葉がいろいろ引っかかる。

「その点はご心配なく。仕事はこの一回のみ。終わり次第、忘却の術をかけておきますので」
「終わった後のことはいいが、それ以前に、こいつに話が通じるかどうか」
「通じるかどうかではありません。通すのです」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれ、途端に話があやしいんだが」

ふたりの会話からわかるのは、仕事がやばそうだということなのだが、忘却の術ってなんだ。術ってなんだ。こいつらなにやってるんだ。

「あやしい、とは心外ですね」
そう雲母が眉間に皺を寄せているけれど、そのほうが心外だ。
中性的な美形が豪邸にふたり。仕事を知られたら面倒。忘却の術。話が通じるかどうか。

「いやどう考えてもあやしいだろ」
心の声がそのまま口を出る。