空色のお箸がほうれん草をつまんでわたしのお皿に入れる。本人はこっそりやってるつもりなんだろうけど、その実お父さんもお母さんもわたしもしっかり目撃していた。それでも誰にも見つかってないだろうって顔をしている四歳児が憎たらしくてかわいくて、すかさずほうれん草を蓮のお皿に戻してやった。


「あ、ずるい」

「何がずるい、よ」

「自分が嫌いなもの、蓮に食べさせようとしてる」

「あんたねぇ」


 呆れてため息が出た。お父さんとお母さんは叱るどころか笑いをこらえてる。


「自分が嫌いなもの人に食べさせようとしたのはあんたでしょう。お姉ちゃんもお父さんもお母さんも、見てたんだからね。蓮がほうれん草、わたしのお皿に入れたの」

「ちぇっ、ばれたか」


 ちぇっ、とかばれた、とかいつのまに覚えたんだろう。今年の春に幼稚園に入ってからというもの、十歳下の弟のボキャブラリーは日ごとに目覚ましい進歩を遂げている。


「ばれたか、じゃないでしょ。さっさと食べちゃいなさい、自分のほうれん草」

「えー、やだ」

「やだじゃないの」

「だって嫌いなんだもん」

「だってじゃないの」

「蓮、じゃあ一口だけ、食べてみよっかぁ。一口だけ。ほら、頑張って」


 お母さんがお箸でほうれん草をつまみ、蓮の口元に持っていく。ぷいと顔をそむけた蓮に節をつけながらがんばーれ、がんばーれ、と声をかけるお母さん。お父さんが声を合わせ、仕方なくわたしも「頑張れ」のアンサンブルに加わる。


 お父さんもお母さんも、蓮には甘い。わたしが小さい時には嫌いなものがあっても全部食べるまで席を立たせてもらえなかったのに、蓮は一口だけで許される。もっとも、甘やかされる事情もある。わたしが生まれたきりなかなか次の子どもが出来なくて、二人とも結構気を揉んでたみたいだから。やっと生まれてきた男の子は可愛くて可愛くて、当然のように近江家のアイドルになった。


 不公平だなぁと思うこともある。でもそれをしょうがないなぁ、と思える程度には、中学二年生は大人だった。最近生意気だけどなんだかんだで蓮は可愛いし、わたしにとっても待ち望んだ弟だし。


「んーえらい。よく出来ました。えらいねぇ」


 何分もかかってようやくほうれん草を飲み込んだ蓮は、こんなもの二度と食べてやるかって顔でお茶を流し込んでいる。そんな蓮を何かのトロフィーでも獲ってきたみたいに褒めたたえるお父さんとお母さん。


 我が家は平和だなぁ、ってしみじみ思うのは、こういう瞬間。


 思春期の子どもは親を嫌う、それが当たり前だなんて誰が言い出したんだろう。お父さんもお母さんも優しいしいい人だし、大好きで尊敬している。


 家の中はほっとできる。いじめのある教室より、ずっと。