もちろん、こんな風に客観的に説明ができるのは今だからだ。

当時はまさか自分が解離性同一性障害、つまり多重人格という病気だなんて思わなかったし、彼らはリアルに存在していて、俺たちは支え合いながら生きていた。


当時の俺の認識では、彼らはいつのまにかそばにいた。

親戚からひどい目に遇わされるのも、母が会いに来てくれなくて泣いているのも、俺じゃなくて彼らだった。

本当は俺自身が体験したことなのに、その苦痛や記憶を肩代わりしてもらうために、彼らはいたんだ。


そうして、ついにあの事件が起きた。

7歳の夏だった。

ずっと会っていなかった母が、一年以上ぶりに親戚の家まで来てくれたんだ。

俺は嬉しくて嬉しくて、母に連れられるがまま、手をつないで久しぶりのお出かけをした。