たとえ声にならなくても、君への想いを叫ぶ。

 


「(……迷惑なんかじゃ、ありませんっ。嬉しいですっ)」


「……それなら、よかった。ストーカー的な発言すぎるかなーと思って、引かれたらどうしようかって内心焦ってたから」



携帯電話を使って文字にしなくても、彼は今の私の言葉も拾ってくれた。


表情と、口の動き、仕草から拾ってくれる。


たった、それだけのことだ。


だけど、それだけのことを少しも面倒くさがらずに、こんなにも自然にしてくれる人が現れるなんて、思っていなかったから。



「(……登録、します。絶対、絶対、します!)」


「あはは。はい、よろしくお願いします。ああ、それと、俺のことは樹生って呼んで。……苗字で呼ばれるの、あまり好きじゃないんだ」


「(わ、わかりました……樹生、先輩。本当に、ありがとうございます……っ)」


「……こちらこそ、俺みたいな奴を信じてくれてありがとう」


「(……え、)」


「それじゃあ、また明日ね。─── 栞」



この時感じた“違和感”の理由を私が知るのは、まだ先のこと。


能天気な私は“栞”と、私を呼んだ彼の背中を見つめて、高鳴る胸に、そっと手をあてた。



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 『Clematis(クレマチス)』

 美しい心


 
 




偶然の重なりで、なんとなく距離を縮めた彼女“栞”とは、それから朝の電車で同じ時間を過ごすようになった。


6時45分、一両目。

駅のホームでぼんやりと携帯を眺めていれば、俺の肩を彼女が遠慮がちに叩く。


ただ、今朝においては、不意に制服の袖口を引かれて振り向けば、ハニかんだ笑顔を見せる彼女が立っていて。


俺を見上げながら、口の動きだけで必死に「おはようございます」という挨拶を伝えようとする姿とその笑顔に、不覚にも一瞬胸を高鳴らせてしまった。



─── 平塚 栞、高校2年生。


つい数週間前から俺と同じ電車に乗ることになった理由は、図書委員の仕事の為らしい。



正直にいってしまえば、どうしてあの時自分が栞に歩み寄るような、そんな行動に出たのかわからない。


煩わしいことは嫌いだし、人との関わりは最低限のものでいいと思ってる。


だから、本来であれば、あんな風に自分から歩み寄ることなんてない。


その上、栞の事情を知った人間の多くが、栞と関わることを本能的に避けてしまうことも珍しくないだろう。


 
 


そんな栞に、俺は自分から踏み込んで、関わりを持った。


そこに、大きな正義感や興味、そんなものは微塵もなかった。


当たり前だけど、栞に同情したわけでもない。


あの時はただ、なんとなく。


なんとなく、栞のことをもっと知りたいと思ったんだ。


ただなんとなく、栞のことをほっとけないと思って、側に寄りたいと、そう思った。




* * *





「樹生……また、サッカー部の奴に聞かれたんだけどさ。あの子と、樹生は毎朝一緒に来てる、やっぱり付き合ってんじゃーねーか、って……」



開口一番。

教室に入ると早々にアキにそんな話題を振られ、思わず溜め息が零れた。


毎朝一緒に来てる……なんて、自分は毎朝俺達を見てるって、そう言ってるようなものだ。



「……そのサッカー部の奴は、俺のファンなの?」


「うーん……そうじゃなくてさ。もしかして、あの子のこと気になってるんじゃない?」


(……そうだろうね)



俺の冗談にも真面目な返事を返すアキは、鈍感だ。


鈍感で、真面目で、純粋で。人の心を疑うことを知らないアキと栞は、なんとなく似ているのかもしれない。

 
 


「ふーん、そうなんだ。でもまぁ、アキがそう思うなら、そうかもね」


「やっぱり!?俺もさ、“なんで、そんなに気にすんの?”って聞いたら、あいつは“別に、ただ視界に入ってきただけ”って言ってて……でも本当は、その子のこと気になってんじゃないの?って思ったんだけど……」



アキの言葉を聞きながら、俺は自分の席へと腰をおろした。


……サッカー部の奴がどこの誰なのかは知らないが、そいつが直接俺に聞いてこないって時点でほぼ答えは出てるようなもの。


一度目の時に、アキはそいつに説明をしておいたと言っていて、普通であればそこでこの話題は終わりだ。


栞づてに女の子を紹介してほしいと頼みたいなら、もうとっくに俺なんかより仲のいい、本当に彼女持ちのアキに頼んでいるだろうし。


あ、栞の友だちに気がある……なんてことも考えられなくはないか。


それでもそいつがこうもしつこく俺と栞のことを嗅ぎ回るのは、ほぼ間違いなくそいつが、栞のことを気にしているからだと言ってもいいだろう。


(……そうじゃなかったとしたら、本当に俺のことが好きとかね?)



「まぁでも、普通に付き合ってないって言っといてよ。事実だし」



だけど、そんな臆測という名のほぼ確定な事実を、アキに伝えるつもりはなかった。


だって、お人好しのアキは、その事実が明確になればなるほど板挟みになるはずだし、一人で悩むはずだ。


そんな風にアキを振り回すのはごめんだし、大して話したこともない、関わりもないそいつに義理立てする理由は一つもない。


 
 


「うーん……そうだよなぁ。でも、また何度か聞かれそうだしなー……」


「っていうか、そんなに気になるなら直接俺に聞きにくれば?って言っといてよ、それで解決するわけだし。そしたら、アキと同じ答えを俺から直接そいつに言える」


「あ、確かに!樹生から直接聞いた方が、あいつも納得いくよな!」



俺の言葉に、それは名案だと喜ぶアキ。


そんなアキには申し訳ないけど……多分、それを言えばそのサッカー部の奴は、今後アキに同じ質問をしにくくなるだろう。


俺に直接聞けと言われた時点で、アキはそんなつもりじゃなくても、今回の件に関してアキには匙(さじ)を投げられてしまった───


つまり、アキは自分ではなく俺の味方についたのだと判断するだろうから。


アキみたいに嘘のない人間に一度突き放されれば、同じ話題で頼ることは難しい。


それが、人間の心理ってやつだ。


だけどきっと、そのサッカー部の奴が俺に直接聞いてくることはないだろうな、なんて。


予測というより確定の事実を想定して答えを渡す自分は、本当に性格が悪いと思う。


 
 


* * *





帰りの電車で栞と同じ時間になることは、あの日以来一度もなかった。


と、いうのも放課後、学校が終わると俺はアルバイトに向かわなければいけない日が多いから。


栞が帰る時間が何時なのか……というのを別に聞いたわけではないけど、学校が終わってすぐに駅に向かう俺とは微妙にズレているんだろう。



(行きも帰りも同じ電車……なんていったら、本当に付き合ってるみたいだし?)



栞のことを、もっと知りたいと思ったのは事実。


栞と、もっと話したいと思ったのも本当だ。


ただ、そこに恋愛感情があるのかといえば、それは違うと言い切れる。


例えば付き合っている彼氏彼女が相手に抱くような、独り占めしたい、手を繋ぎたい、今すぐ会いたいと願う、そんな焦がれるような思いを抱いているわけじゃない。


栞という女の子を、自分のものにしたいという欲求を持っているわけじゃないから。


そう考えれば、俺は栞と友達になりたかったのか?なんて、そんな今更な疑問を自分に投げかけつつ、俺はその日、学校帰りに家の近くの図書館へと足を運んだ。


 
 


図書館に入るといつもの場所に座り、参考書を広げた。


なんといっても一応、受験生。


静かな場所で勉強したいと思うけど男子校の図書室なんてサボるためのスポットでしかなく、壁に貼られた「図書室内では静粛に」という注意にはなんの効力もなかった。


だから俺はよく、アルバイトのない日はこの図書館へ足を運ぶ。


この公共の図書館から家までは約5分ほどの距離で、駅から家へ向かう途中にあるため通うにはとても便利だ。


家に帰って勉強するよりも、俺は図書館のこの落ち着いた独特な空気の中で机に向かうことが好きだった。




─── その日は、どれくらいその場所に座っていただろう。


夕陽の光がふと目に入り、促されるように顔を上げた。



(そろそろ、帰ろうかな……)



そしてそれは、そんなことを思いながら、壁に掛けられた時計に目を向けた時だった。



「─── !」



視線の先。

向こうは気付いているのかいないのか……


そこにはここ最近、毎朝会話を交わす女の子がいて、俺はその姿に思わず自分の目を疑った。


 
 


(なんで、こんなとこに。って、駅は同じなんだし、いても可笑しくないんだけど……でも、)



立ち上がろうとして、思わず躊躇(ちゅうちょ)した。


視線の先には、熱心に机に向かっている栞の姿。


栞の隣は空席で、それを見てなんの躊躇いもなくそこに移ろう、栞に声を掛けようとした自分に気付き、戸惑ったんだ。



(……別に、でも、知り合い……っていうか、友達、だし)



そんな風にしてしまうのは、昼間のあの付き合ってるとかなんとか、その話が効いているのかもしれない。


不本意だけど、つい意識してしまっているのかも。


だけど、そんな風に躊躇っていれば、俺の視線に気が付いたのか───



「─── 、」

「─── 、」



突然顔を上げた栞と、まるで何かに導かれたかのように視線と視線が交わった。


 
 


* * *






「……隣、いい?」



答えを聞くより先に椅子を引いた先輩に、私はコクコクと必死に頷いた。


最寄駅にある、図書館。


テスト期間が迫ると図書館で勉強をしてから家に帰る、というのは中学生の時からの習慣だった。


だから今日も、私は一人で図書館に足を運び、教科書とノートを広げていたのだけれど……


ふと、視線を感じて顔を上げた先。


そこにいた思いもよらぬ人物に、私の心臓は大きく跳ね上がった。