たとえ声にならなくても、君への想いを叫ぶ。

 


先輩に出逢って、先輩を知り、先輩に触れて気づいたことがたくさんあった。


魅惑的で儚く、美しい羽根を持った蝶のような先輩を追い掛ける内に、必然的に芽生え、加速した恋心。


いつだって優しく、いつだって温かい先輩のこと。


知るほどに惹かれて、知るほどに手の届かない存在なのだと思い知り、その度に打ちのめされた。



「…………雪だ、」



呟くように言葉を零した蓮司に促されて宙を見上げた。


見上げた先、真っ白に染まった空からは、ゆっくりと舞い落ちる雪の花。


優しく掌に触れたそれはまるで、いつだって冷たい先輩の手のようで、私はたったそれだけでもう一度、前を向ける気がした。


 
 


「(ありがとう、蓮司……)」


「栞……」


「(私……決めた)」



言いながら笑顔を見せれば、一瞬驚いたような顔をした蓮司もまた、私を見て太陽のように笑う。


先輩に、今の私ができること。


大好きな先輩のために、最後にもう一つだけしたいことがある。


……伝えたい、気持ちがある。



「っ、」



舞い落ちる雪の中、空を見上げて深呼吸をした私は、その足である場所へと向かった。


巡る季節に、もう一度だけ。


どうか、あと一度だけ、先輩と私を繋いでほしいと切に願って。



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 『Snowdrop(スノードロップ)』

 逆境の中の希望


 
 



「……樹生、お前ちゃんと寝てるのか?」



─── 深夜2時。


薄明かりの中で机に向かっていた俺に、仕事から帰って来た父の声が掛けられた。



「……そっちこそ、仕事ばかりであんまり寝てないくせに。っていうかアレだね、……おかえり」


「ああ……ただいま。今日は急患が入ってな……それより、本当にしっかり寝ているのか?毎日ずっと遅くまで勉強してるみたいだが……」


「……ああ、うん。でも、どんなに時間があっても足りないんだ。っていうか、実際、試験まで時間ないし」



言いながら小さく笑えば、父は眉間の皺を更に深めて俺を見つめた。


そんな父から視線を外して再び机に向かえば今更ながら時計が目に入り、寝る予定だった時間を疾うに過ぎていたことを改めて知る。


(……そういえば、父さんが帰ってくる時、玄関が開いた音、したかな)


ぼんやりとそんなことを思って、靄(もや)の掛かった思考を晴らすように小さく頭を振った。


 
 


「……樹生。今日はもう遅いから寝なさい。勉強は、明日でも出来るだろう」


「……うん、ありがとう。父さんも早く寝なよ、おやすみ」



振り向くこともせずそれだけを言えば、小さな溜息が聞こえた後、部屋の扉の閉まる音がした。


─── 2学期が終わり、高校生活最後の冬休みは受験生にとっては少しも幸せなものなんかじゃなかった。


大学の推薦が取り消しになったあと、俺は当初希望していた私立医大の受験を止め、国公立の医学部を目指すことを決めた。


その意思を、停学の明ける前日に初めて父に話した時には、俺が自分と同じ大学を目指していたことに喜びを感じていたらしい父は、なんとなくガッカリしたような表情をしていたけれど。


最終的には何も否定はせず「最後まで頑張ってみなさい」と、背中を押してくれた父に、心から感謝した。


そして、そこから改めて受験勉強を始めたのだけれど───



「……なんでだろ、」



正直、焦りばかりが募っていく。



 


「……はぁ、」



かけていた眼鏡を外し、眉間を抑えて溜め息を吐き出せば、また一つ不安の塊が胸に落ちてきた。


……元々、予防線を張っていなかった訳じゃない。


推薦が取り消しになる以前からも、もしもの時の為に、一般入試を受ける最低限の勉強はしていた。


だから、志望校を変えた時もなんとかなる、大丈夫だと心の片隅ではそう思ってた。


……そう、思っていたはずなのに。


しっかりと、準備はしていたはずなのに……ここへきて不安ばかりが増えていくことに焦りを感じずにはいられない。



「……周りは、もっと勉強してるかもしれない」



ぽつり、零した独り言は溜まりに溜まった行き場のない弱音。


最近、こうして独り言を呟くことも多くなった気がする。


どれだけ勉強しても、どれだけ対策を練ろうとも。


崖っぷちに立たされている今、そのプレッシャーを跳ね除けられるほど、俺はまだまだ人間が出来ていない。



 
 


(……とりあえず、今日はもう寝よう)



そう思って立ち上がり灯りを消すと、ベッドの上に倒れるように身を投げた。


再び、深く吐き出した溜め息。


このまま目を閉じて眠ってしまおうか─── と。


そう思った瞬間、視線の先にいつから置きっぱなしにしていたのかわからない、携帯が目に入って思わず手を伸ばした。



「携帯とか……最後に見たの、いつだっけ……」



小さな緑色のランプの点滅しているその携帯の側面のボタンを押し、無機質な画面をタップすれば取り戻された灯りが眩しくて、思わず目を細めてしまう。


【未読10通】の表示が付いていたアプリケーションを開いて、ゆっくりと画面をスクロールしていけば、随分前のメッセージまで溜まってしまっていることにまた溜め息を吐く。



(一昨日とさっき届いた父さんからのメッセージに、アキとタマは5日前……あとは、バイトしてたコンビニの店長と……)



その全てが俺のことを気遣ってくれている内容で、今日の今日までそれに返事を返せずにいたことを申し訳なく思った。


そして、相変わらず靄の掛かった思考の中、一番古いメッセージに未読のマークが付いているのを確認して───



「っ、」



俺は思わず、滑らせていた指を止めた。


 


─── 栞。


画面に表示されている名前に当たり前に触れそうになって、慌ててその指を引いた。


栞との接触を断ってから、もうすぐ2ヶ月。


初めの頃は間隔を空けずに送られてきていたメッセージも、最近ではスッカリとその声を潜めていた。


当たり前だ。心を尽くしたメッセージを何度送っても、たった一言の返事すら返ってこないんだから。


けれど、栞が他の人間と違うところは、だからといって俺を責めるわけではないだろうということ。


普通なら返事すら返さない相手に腹を立てても可笑しくないのに、栞はきっと今頃、返事が返ってこないことさえも自分のせいだと思ってるんだろう。


……そんなことを改めて考えたら逃げ場のない罪悪感に苛まれ、胸が針で刺されたように傷んだ。


 
 


─── わかってる。

全てわかった上で、栞の声を絶っているのは自分なのだから、今の俺に落ち込む資格なんてない。


栞にとったら最低な奴になるのだと、全てわかった上でしていることなんだから、今回もそれを貫き通さなければいけない。



(……だけど、)



そう、頭ではわかっているはずなのに、今回栞から送られてきたメッセージを見ると、酷く心が揺さぶられる理由がある。


全文の表示されていないその文章の冒頭部分の言葉に─── 自分の決意を粉々に砕いても可笑しくないほどのものが、書かれているから。



「“これで最後にします”……って、」



その言葉の意味。

最後にするというのは“メッセージを送ってくること”を意味しているのか、それとも───


“俺との全て”を、言っているのか。


 
 


「っ、」



もしも、前者ならまだ引き返せるかもしれない。


だけど、後者であれば今このメッセージを読まなければ、もう二度と、栞の心に触れることはできないということだろうか。


─── 結局、全てを切り捨てることなんかできない俺は、その言葉の真意を確かめたくて、ダメだと思いながらも未読マークの付いたメッセージをタップした。


すると、そこには久しぶりに受け取る、“栞の声”。


たったそれだけで胸を締め付けていた想いに解放された俺は、



「……図書、館?」



その内容を読んで、それを読む前よりも困惑する羽目になるのだけれど。