たとえ声にならなくても、君への想いを叫ぶ。

 



─── “ ごめんなさい ”




傷付けてしまって、ごめんなさい。


それなのに、前向きに生きていてごめんなさい。


多くの人を傷付けて、ごめんなさい。


守ってくれた人を守れなくて、ごめんなさい。


大好きなお父さんを。大好きなお父さんの想いを、守れなくてごめんなさい。




─── 声が出なくて、ごめんなさい。


 
 


「……栞は、何も悪くない。栞は、これ以上、自分を責める必要なんてない」


「……っ、」



腕の中。俺の言葉に、そんなはずがないと首を振る栞の心を宥めるように何度も何度も彼女の背中を擦った。


その優しい声が、心が。


これ以上、傷付く事のないようにと願うことしか、今の俺にはできないから。


今だけはせめて、その苦しみの全てを預けてほしいと真摯に願う。


頼むから。今ここにいる、彼女が。



(─── 先輩。たくさん迷惑を掛けてしまって、ごめんなさい)



優しい彼女が悲しみの渦に消えてしまわぬようにと、精一杯願いながら……



(ごめんなさい)



俺は、腕の中で震えるその小さな身体を逃さぬように、きつくきつく抱き締めた。



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 『Geranium(ゼラニウム)』

 決意・慰め
 君ありて幸福

 
 




先輩に過去の全てを話したあの日、先輩は私が泣き止むまでずっと、私の身体と心を抱き締めていてくれた。


降り続く雨は、どんなに身体と心を冷やそうとも止んでくれることはなく、いつの間にか自分ではどうすることもできないほどに凍え切っていて。


そんな私を先輩は、繋ぎ止めるように温め続けてくれたんだ。



「(……学校、行かなきゃ)」



雨の中、お母さんが心配するからと家まで送り届けてくれた先輩は「無理はしなくていいから。今は、休みたいだけ休んだ方がいい」と、最後まで優しさに濡れた言葉を私にくれた。


そんな先輩の言葉に甘えるように、一週間も学校を休んでしまった私は、いい加減このままではいけないと再び自分の心を奮い立たせた。



「あら、栞。具合はもういいの?」



制服を着て、リビングの扉を開けた私にお母さんの優しい声と笑顔が向けられる。


体調が悪いなんて私の嘘にもきっと気付いているお母さんは、わかった上で気付かないふりをしていてくれる。


そんなお母さんに向けて、「ありがとう」という気持ちを込めて精一杯の笑顔を見せると、私は前に進むべく扉を開けた。


 
 


一週間ぶりの、駅のホーム。


乗るのは─── いつもの電車よりも一つ早い、乗り慣れない時間の電車。


けれど、乗る車両は乗り慣れた一両目。


ホームに立てば景色は少しも変わっていなくて、それに安堵の息を吐いた。


……先輩とは、あれから何度かLINEで何気ない会話のやり取りをしたけれど、今日から学校へ行くことは言っていない。


だって、優しい先輩はきっと私が学校に行くと言えば心配してしまう。


それだけならまだしも、朝は家まで迎えに来て、帰りも私の通う学校まで迎えに来るとか言い兼ねない気がして。


それが自意識過剰で終わればいい。


でも、もし本当にそんなことになれば、先輩に今以上の迷惑を掛けることになる。


今は先輩にとって、今後の人生を左右するとても大事な時期で、先輩の将来を邪魔するようなこと、絶対にしたらいけないから。


……だけど、そんな風に考える私よりも、先輩は一枚も二枚も上手だったんだ。


 



「……一本早い電車に乗るとか、反抗期?」


「っ、」


「やっぱり、こういう時のために信頼関係を作っておくのって大事だよね。栞のお母さん、LINEでは可愛いスタンプとか使ってくれて、すごいフレンドリー」



突然背後から聞こえたその声に、弾けるように振り向いた。


そうすれば、視線の先。すっかりと秋仕様の制服姿の先輩がいて。


緩く着こなされたカーディガンの袖に半分ほど隠された手には、先輩の真っ黒な携帯電話が握られている。


先輩はその携帯電話をヒラヒラと動かしながらニヒルに笑うと、それを胸ポケットへと滑らした。


 
 


「栞ならきっと、俺にこれ以上迷惑掛けたくないとかいうどうでもいい理由で、学校行く気になっても言わないだろうなと思って。だから、栞のお母さんに予め、栞が登校する時は朝一で連絡くださいって言っといたんだ」


「っ、」


「……迷惑なんて思うくらいなら、こんなに深く関わってないよ」



言いながら、「そこまで信用ないかな、俺」と、自嘲の笑みを零した先輩に何度も首を左右に振った。


そんな私を見て柔らかに微笑んだ先輩の手が、私の頭を優しく撫でる。


一週間ぶりの、変わらぬ温もりに思わず滲む視界。


朝からこんなところで泣くわけにはいかないから、誤魔化すように必死に瞬きを繰り返した。


そんな私の様子にもすぐに気付いてくれた先輩は、再び小さく笑みを零して、ホームに立つ他の乗客から私の身体を隠すように隣に立った。


 
 


「……なんで、こんなに理不尽なんだろう」


「(……え、)」



けれど、突然ぽつりと落とされた言葉に驚いて涙が自然と引いていく。


落としていた視線を上げれば、樹生先輩は私の方は見ずに真っ直ぐ前を向いて眉根を寄せていた。



「……悲しいけど、こっちがどんなに必死になって気持ちを伝えても、心ない言葉を平気で言える人間は確かにいて、そんな奴に毎日を必死に生きてる人間が当たり前に傷付けられるんだ」


「っ、」


「栞を、そんな心ない声から守りたいと思って、俺なりに必死に考えた。……でも、どうすることが一番良いのか答えは見つからなくて。結局俺は口だけで、栞のために何一つできてないんだって、思い知らされただけだった」



言いながら、悔しそうに睫毛を伏せた先輩は「……本当に、ごめん」と、独り言のように言葉を零す。


 
 


そんな樹生先輩の横顔と言葉に高鳴る鼓動。


私はそれを宥めるように息を吐き、意を決して先輩の体温の低い手をそっと掴んだ。



「……栞?」


「(……先輩は、)」



先輩は。

やっぱり、どこまでも優しい人だ。


私のために何もできていない、なんて。


そんなはずない。そんなわけがないのに。


だって私は、先輩にたくさんの優しさをもらってる。


私が今日こうして、学校に行こうと思えたのも先輩のお陰だ。


あの時、凍えきっていた私の心を先輩が温めてくれたから、私は逃げずにいられたの。


我慢しなくていい、俺が全部受け止めるから……と。その言葉に、私がどれだけ救われたのか、先輩はわかっていない。


そして、そんな先輩の優しさに答えなきゃ、答えたいと思ったからこそ、私は今日ここに立っている。


 
 


「(……ねぇ、先輩)」

「……どうした、栞?」



突然の私の行動に、驚いたような表情を見せる先輩へ向けて静かに笑みを零す。


そうすれば、一瞬戸惑いを見せた先輩が再び眉根を寄せた。


そんな先輩に向けて私は緩く首を横に振ると、ゆっくりと口を開いた。



「(私は、もう十分すぎるくらい、先輩にかけがえのない優しさを貰いました)」


「……え、」


「(だから、今日はその優しさに答えたいんです。この一週間、私も私なりに考えました。それで……私ももっと、頑張ってみようと思ったんです)」


「……、」


「(見てて、ください。私は、生まれ変わった自分の姿を、樹生先輩に見てほしいです)」