「……し、おり」
「(蓮司は、何もわかってない!!ば、か!!)」
「バ、バカ?バカって……俺は……っ」
「(馬鹿だよ!!蓮司は、大馬鹿っ!!だって、言って後悔するくらいなら、最初から言わなければいいのに!!)」
「……っ、」
私の言葉に眉を八の字に下げ、唇を引き結んだ蓮司。
……家が近所で、小さい頃から一緒にいた、私の唯一の幼馴染み。
声を出せていた時も、声が出なくなった時も、声が出なくなってからも。
蓮司はいつだって私の側にいてくれて、いつだって私を助けてくれた。
だからきっと、伝わる。伝わってる。
私が今、何を言いたいのかも。
私が今、何を伝えたいのかも。
だって私も─── 蓮司が今、どれだけ自分の言った言葉を後悔し、自分を責めているのか、手に取るようにわかるから。
そっと、携帯を開くとそこに言葉を打ち込んだ。
ゆっくりと歩を進め、蓮司の前に立つと携帯の画面を向ける。
「(……私は、自分の意志でここにいる。それを否定する権利は蓮司にはないし、私は私なりに、最大限の注意は……してる、つもり)」
「……っ、」
「(樹生先輩は、そんな私の気持ちを汲んで、お祭りに連れてきてくれた。先輩のおかげで、今日はたくさん笑ったよ?本当に本当に、楽しかったの)」
「……、」
「(先輩は、蓮司が思ってるような人じゃない。優しくて、思いやりがあって、とても温かい人)」
「……で、でも、」
「(……先輩が女の人と遊んでいることも、先輩自身から聞いた。でも、蓮司が心配するようなことは何もないよ?当たり前だけど、先輩に嫌なことをされたこともないし、先輩はそんなこと絶対にする人じゃない。そもそも先輩と私じゃ不釣り合い過ぎて、心配することすら笑っちゃうくらい)」
文字を打ちながら、思わず自嘲の笑みが零れた。
苦しくて悲しくて、仕方がない。
蓮司へと身体を向けているせいで、今の私の表情は背後にいる先輩には見えていないだろう。
……背を向けていて、良かった。
こんな、情けない顔。先輩に見られたら、優しい先輩をただ困らせてしまうに違いないから。
「(先輩は、私には勿体無いくらい素敵な人だから。側にいられるだけでも奇跡みたいな、そんな人なの)」
そこまで打った画面を蓮司に見せた後、私は静かに携帯をしまった。
眉根を寄せ、困惑したような表情を見せる蓮司へと笑顔を見せれば、蓮司はそんな私を見て、今度は悲しげに眉を下げた。
それを合図に、そっと、一歩後ろへ足を引く。
けれど、また学校でね、と。
そう、口の動きだけで蓮司に言葉を伝えて静かに振り向けば───
(え……?)
視界を埋めた事実に、今度は私が戸惑う番だった。
(樹生……先輩?)
振り向いた先、そこには先輩の姿はなくて。
その事実に心臓が早鐘を打つように高鳴って、慌ててキョロキョロと視線を動かせば、まるでそんな私の行動を見計らったかのように携帯が震えた。
【お祭り、楽しかった。息抜きに付き合ってくれて、ありがとう。今日は、このまま幼馴染みくんに送ってもらって。じゃあまた、夏休み明けに電車で】
「……っ、」
いつも通りの、絵文字も何もない、先輩らしいシンプルな文章。
それなのに、こんなにも胸が締め付けられるのは、暗闇にぼんやりと光る無機質な灯りが、やけに寂しく感じられるせいだろうか。
先程まで、先輩と過ごしていた甘い時間は、夏の夜の夢のように儚く消えてしまった。
─── 気が付けば、時刻は20時を指していた。
そんな、訪れた夜の早さに、高校3年生である先輩と過ごす時間があと僅かであることを、私はこの日、初めて自覚した。
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『Sunflower(ヒマワリ)』
あなただけを見つめる
1ヶ月半もあった夏休みも瞬く間に過ぎ去り、今日から新学期が始まる。
もうすっかり慣れた時間帯に駅のホームに立てば、つい余計なことを考えてしまう。
頬を撫でる風は、まだ夏の暑さの名残を残していて、私の心をあの夏の夜に連れて行く。
【じゃあまた、夏休み明けに電車で】
あのメッセージを最後に、夏休みの間は一度も先輩から連絡が来ることはなかった。
と、いっても5日程度の話で、夏休み前に比べたら特に不安になるような時間ではない。
それでもそのたった5日が長く感じてしまうのは、先輩との距離が、この夏休みの間に急激に縮んだからなのだろう。
(……急激に、なんて言っても、出掛けたのはお祭りだけだけど)
言いながら、つい自嘲の笑みを零して俯くと、突然自分の足の隣に見慣れた靴が並んだ。
「……おはよう」
「……っ!」
艶のある甘い声。弾けるように顔を上げれば、5日ぶりに会う、大好きな樹生先輩の姿があって、思わず瞬きを繰り返した。
「……久しぶり、なんて。たった5日だけど」
「……っ、」
何気ない先輩の言葉に、胸がキュンと高鳴ってしまう。
だって、久しぶり、なんて。たった5日を長い時間に感じていたのは私だけではないのだと、勘違いしてしまいそうだ。
「幼馴染みくんとは、無事に仲直り出来た?」
柔らかな口振りでそう言った先輩は、きっとその答えも全てお見通しなんじゃないかと思う。
先輩の質問に小さく頷いてから、「ありがとうございます」と口の動きだけで伝えると、先輩は私の髪にそっと手を伸ばして───
その手を私の頭に乗せることなく戻すと、「良かった」と言葉を零し、静かに目を細めた。
─── 先輩の、何気ない仕草に胸がざわめいた。
けれど、その不安を口にする間もなく、まるで見計らったかのようにホームに滑り込んできた電車。
騒がしく行き交う人の波に逆らってドアを潜れば、お決まりの座席に当たり前のように、2人で腰を下ろした。
目の前には、見慣れたOLさんと、学生さん。
その姿に改めて、ああ、今日からまた学校が始まるんだな……なんて考えて、高校3年生である先輩との、この朝の時間が本当にあと僅かであることを実感した。
樹生先輩は受験が控えているけれど、優秀な先輩は推薦を貰っての受験が確定していて、早ければ2学期の終わりには他の受験生より一足先に受験を終えてしまう。
先輩のことだから、そのまま難なく合格してしまうんだろう。
実際、受験勉強だって合格してからの勉強についていけなかったら困るから……なんて、冗談を言っているくらいだ。
一見すると要領もよく、世渡り上手かつ、恵まれているような印象を与えられる先輩のライフスタイル。
けれどその全ては、先輩が今日まで重ねてきた努力の賜物であることを、私は知っている。
先輩は、そういう努力を表面に出さない人なのだということを、この短期間で思い知ったから。
まず、第一に。先輩が図書館で勉強するのも、家の電気代を少しでも節約する為なのだということ。
お父さんからの生活費の仕送りの中には、高校生である先輩が遊ぶ為に必要なお金も含まれていたらしい。
けれど先輩は、それには一切手を付けていなかった。
もしもの時の為に、その分のお金を将来大学への進学費用にさせてもらおうと思っていたらしく、自分のお小遣いともなるお金は、バイトをして稼いだものを使っていたんだとか。
更には、廃棄のお弁当を貰えるからということで、コンビニのアルバイトをしていたんだということも、先輩が世間話の中で話してくれた。
そんな、アルバイトと学校生活、更には医学部受験をするようなレベルの勉強の両立が、どれほど大変なものかは私には到底想像もできない。
けれど、先輩がこうして朝早く登校する理由も、朝早くに学校に行って静かな教室や図書室、資料室で勉強をするためで。
そうやって、コツコツと重ねてきた先輩の努力が全て、今回の受験に繋がっているのだ。
先輩のことを知れば知るほど、隠された努力と思慮深さに、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
(……だけど、そう考えたら、本当にあと少しなんだ)
3年生ともなれば、2学期を終え、3学期になると学校へと登校する日も格段に減るだろう。
去年、2つ上の先輩達がそうだったように、余程の例外がない限り、樹生先輩の学校でもそうなのではないかと思う。
そう考えたら、先輩とこうして一緒に登校できるのも、あと3ヶ月と少し。
先輩との、朝の穏やかなこの時間を過ごせるのも、本当にあと僅かなのだ。