「未練て、なんですか」
「辞書を常に手の届くところに置いている家の子供は、頭がよくなるらしいぞ」
「ありますよ、そこの棚に。引きたきゃどうぞ、意味は知ってます」
「いやに攻撃的だな。未練とは、言葉どおりだ。俺はそれを解消するためにいる」
そうだ、と唐突に人見さんが立ちあがった。
母が一瞬の隙に散らかしたリビングを、音もなく歩き回りながら、手振りをまじえて朗々と語る。
「まだ説明していなかったな。俺の仕事は、きみが満足して人生を終える手助けをすることだ。未練の解消しかり、終末の演出しかり」
「演出?」
「何かあるだろう、人目につかないところでとか、もしくは報道されるくらい派手にとか」
「…死にかたってことですか」
「直截に言えば、そうだ。俺はそれを、きみの希望どおりに仕立てあげる、いわばプランナー兼プロデューサーだ」
窓辺で振り返ると、ぴっと私を指さして、にこりと笑う。
…死神の仕事って、そんな軽い響きでくくられるものなのか。
名刺くださいと言ったら本当にくれそうなので、やめておくことにした。
「母は、未練じゃないです」
「そうか、何よりだ」
私がいなくなるくらいのショックは、むしろ母が立ち直る、いいきっかけになってくれるだろう。
誰かが母に、やんわりと私の事情を伝えてくれて、しばらく面倒を見てくれれば、の話だけど。
「そのあたりは心配ない。事前に言ってくれさえすれば、事後のことも少しは請け負える」
「私、父親が誰だかわからないんです」
「そうか、きみの父親は、この村の村長だ」
だし汁で濡れたラグを叩く手がとまった。
かなりの重大事のつもりで言ったんだけど。
そんなあっさり。
「…村長が、母と? ってことですか?」
「ってことだ。まあ当時はただの村職員だが。高校を出るか出ないかのきみのお母さんをカドワ・カシ・タ。ん?」
「たぶらかした?」
「それだ」