また、頭に靄がかかる。


でも、お父さんがあまりに不安げな顔をしていたので、

「あ……そうだよね、名前忘れてた」

と下手なごまかしを何とか口にした。


それでもお父さんは眉をひそめていたけれど、「今日の晩ご飯はね……」と無理やり話題を変えた。


ほとんど無意識に喋りながら、お父さんの言葉を反芻する。


『しらとり園って、お前がピアノを弾きに行ってた、あの施設のことだろう?』


……どういうことだろう。

何も分からない。

全く記憶にない。


でも、お父さんの口ぶりからすると、私は何度も『しらとり園』に行ったことがあるのだ。

覚えていないけれど。


靄のかかった頭で必死に考える。


家に帰り着くと、様子のおかしい私を心配して、お父さんと佐絵が食事の用意をしてくれることになった。


「美冬の様子が少し変なんだ」

「本当だ、なんか顔色悪い。大丈夫? お姉ちゃん。文化祭で疲れちゃった?」

「そうだよな、行事があると疲れるよな。今日は父さんがご飯作るよ」

「私も手伝う! お姉ちゃんはゆっくり休んでて」


申し訳ないとは思ったけれど、普通の精神状態ではないことは自覚していたから、二人に甘えることにした。


自分の部屋に戻ろうとリビングの出入り口に向かう途中で、ふと足が止まる。

ピアノが視界に入ってきて、どうしようもなく弾きたくなった。