「行こうか」


 泣いていることがバレないように、必死になんでもないような声を務めた。でも、多分バレバレだっただろうなって思う。

 だけど、多分壱くんも泣いていたのだろう。私の涙声にはなにも言わずに、「おう」と同じような涙声の返事をくれた。

 私の手を引いて、川辺に近づいていく。一足先に川から出て、私を引き上げてくれた。触れる手からどんどん温もりが広がっていくのを感じる。それは、私だけかな。


「風邪、ひきそうだな」


 びしょ濡れの私の体を見て、壱くんが苦笑を見せた。
 私も壱くんも、膝上から足許までびしょ濡れだ。靴も靴下もぐちゃぐちゃで、動く度に水音が響く。

 上半身も水しぶきを何度も浴びたし、腕に関しては水の中に突っ込んだりして、知らない人が見たらこんな時期に川で泳いだように見えるだろう。

 体を拭く方法もなく、取り敢えず自分のコートを羽織った。
 冷えきったコートは着ている方が体を壊しそうなくらい私の体温を奪っていくような気がする。


「あ、の」


 濡れた自分のスカートを握りしめて顔を上げると、すぐ傍にあった壱くんの視線とぶつかった。


「……一緒に、おばあちゃんの家、行かない?」
「それはいいね!」


 しどろもどろになりつつも勇気を振り絞った言葉に、真っ先に反応したのは寝転がっている黒猫だった。


「お前ほんっとムカつくな」
「なに怒ってるんだ」


 本当に意味がわからない、と言いたげに首を傾げる。


「お前のせいだろが!」
「知らないよ、飛び込んだのはきみたちだろ。ぼくには関係ない」


 壱くんが奥歯をぎりぎりと鳴らす音が聴こえる気がする。

 黒猫の関係ないという口調に多少苛立ちはするものの、怒る気も失せてくる。思わず「ふ」と笑ってしまうと壱くんが私に鋭い視線を突き刺した。そして、今度は諦めたような大きな大きなため息を地面に落とす。


「ったく……ホント、頑張るとろくなことがねえな」


 黒猫をひょいっと抱きかかえる。逃げずに彼の手を受け止めた猫は、抱きしめられてからやっと嫌がらせに気づいたらしく、濡れて冷たくなったコートから離れようと必死にもがきだした。


「ばーちゃんちまでわかんの?」
「……スマホ見れば、分かるよ。連絡も入れる」


 ちらっと自分のカバンを見る。

 奥底に沈んだ私のスマホ。なんだかんだ、電源をいれることが出来なかったのは、やっぱり、逃げていたからなんだろうと思う。すべて思い出してしまいそうで。逃げたはずのものにとらわれてしまいそうで。電源を落としたまま忘れたふりをしていた。

 でも、そんなのはもう無駄なことなんだ。


 頑張ってるきみを見たから。私も最後まで頑張ろうって、思えたんだ。

 逃げ出したって頑張ってるきみが、私に「頑張れ」って教えてくれた。

 悔しいけれど、この黒猫も。私に大事なことを教えてくれた。


「全部、思い出したんだ」


 だから、今度は、私が頑張るんだ。