なんだか、妙なことになったなあ、と思いながら時間を確認しようと傍にあったカバンを引き寄せる。確かスマホはカバンの中に入れっぱなしだったはずだ。

 重たいカバンを引きずり、内ポケットからスマホを取り出す。チカチカと点滅している黄色の光に、心臓がぎゅうっと握りつぶされるみたいに痛んで苦しくなった。


 ……誰からの、メールか電話があったんだろう。


 唇を噛んで、真っ黒の画面を見つめる。ホームボタンを押せば、画面に誰かからの連絡を告げるメッセージが表示されているだろう。誰からだろうかと想像すると、どんどん気が重くなってくる。さっき得た開放感が、一気に閉塞感に変わっていく。


 担任の先生からかも知れない。もしくはお母さんや、お姉ちゃん。もしかすると、友達かもしれない。

 人物を想像すると、それと同時に思い出したくない感情も湧き上がってきて息が苦しくなってくる。

 逃げ出したのに、追いかけられている。

 戻りたくない。今は何も思い出したくない。逃げ出した日常なんて、もう、忘れ去りたい。


「消えちゃえばいいのに……」


 こんな感情も、そうなる原因も、全て。跡形もなくなくなれば、私はもっと楽なはず。〝私らしく〟過ごせるはず。


「消せば?」


 隣りにいた黒猫が、何もかもを映し出すようなきれいな瞳を私に向ける。その中に、苦痛で顔を歪めた私がいた。


「消せるの?」


 私は、なにを聞いているんだろう。
 だけど黒猫は、軽く首を傾げて

「きみが望むなら」

と、言った。


「きみが忘れたいなら忘れればいい。逃げたいのなら逃げればいい。やめたいのならやめればいい。きみが望めば、なんだって出来る」


 なにも出来なかった私だけれど、そんなことが出来るんだろうか。本当に? 私にも出来るの?

 学校での友達との関係、言われた言葉、苦痛な勉強、満足できない点数。笑えない、不器用な自分。閉じこもってばかりの、私の部屋。

 忘れても、いいの?

 手の中にある、私の全てとも言えるスマホ。全てであり、空っぽのスマホ。私はその電源をそっと、落とした。



 全て、消えてしまえばいい。