忘れたいと思ったものであることには間違いない。なのに、あの表情をさせたのは、私。あの言葉を言わせてしまったのも、私。

 私はそれらを忘れてしまって、なにがあったのか思い出せない。けれど、美和子は、きっと覚えている。

 そう思ったら、自分がひどくずるいことをしているような後ろめたさに胸が圧迫された。


 コンビニは住宅街を抜けた、二車線の道路沿いに立っていて、中には店員以外誰もいなかった。数台の車を止める駐車スペースがあるけれど、もちろん一台の車も見当たらずガランとしている。目の前の道路にさえ車が通らないくらいだ。


「お前弁当?」
「うん。お茶だけ、買おうかな」
「いいよ別にいらねえなら待ってれば?」


 自分で口にしておいて、カバンの中にまだお茶が残っていることを思い出すと、それを壱くんも覚えていたのか、それとも私の表情から読み取ったのか、そっけない口調でコンビニの入り口に向かっていった。

 喋れば喋るほど、壱くんとは溝が深まっているような気がする。もしも学校で出会っていても、彼のような人と私は接点が生まれなかっただろう。だからこそ今まで知らなかったのだろうな。

 居心地の悪さに重い溜息を落として黒猫を見ると、隅っこで何かを見つけたのかもぞもぞと動いている。

 自転車のそばで、カバンを手にした。真っ黒なままのスマホを手にしてじっと見つめていると、画面に私の顔が見える。

 これを手にして、私は何がしたいんだろう。映り込んだ私は、今の気持ちを露わにした表情を向けるだけで、答えを教えてくれるはずもない。

 電源を入れたら、どのくらいの着信とメールがあったのかわかる。

 美和子が心配しているんじゃないかと思ったけれど、かすかに思い出した記憶から考えれば、連絡があるとは思えない。

 きっと、担任の先生と、お母さんと、もしかしたらお姉ちゃんからのものしかない。今どうしているの、とか、なんで休んだの、とか。


——『茉莉は本当に、なにも出来ないから』


 嫌だ……!

 思い出すと同時に、反射的にスマホを鞄の中の、一番奥に突っ込んだ。

 いやだ、まだ、思い出したくない。スマホなんて見たくない。見てしまったら、もう、逃げられなくなってしまう。


「なにしてんの」


 脈打つ身体を必死に押さえ込みながらうずくまっていると、頭上から壱くんの声が聞こえてきて顔を上げる。

 手にコンビニ袋を持っていることを確認してから「なんでも」と腰を上げた。

 なんでもない。そう、なんでもないんだ。

 忘れてしまったこと。だけど……きっとずっと忘れていられるものではないことも、わかっている。こんな些細な事で断片的に思い出してしまうのだから。顔を合わしてしまえば、私は全部思い出すだろう。そうしたら、私はまた今までのように頑張るだけ。頑張らなくちゃいけないことはわかってる。


 だから、もう少しだけ、逃げさせて欲しい。