「どうかしたのか?」
足許から舌っ足らずの声が聞こえてきて、黒猫の視線を受け止める。ガラス玉は相変わらずきれいで、その目からすぐさまそらした。
「なんでもない」
自転車を押す手に力を込めて、脚を踏み出す。
少し前には壱くんが歩いていた。この道がどこに続くのか、私にはわからない。
いつかおばあちゃんの家にたどり着くだろう。けれど、そこがゴールなのかと自分に問うてみても答えは出てこなかった。
壱くんに追いついて並んで歩く道はまるで、毎日通っていた家の近くの道のように感じた。
いつもこうして、美和子と並んで歩いていたからだろう。
あの頃、あんなにも笑って過ごしていたはずなのに、どうして今の私はこんなに苦しいんだろう。すべてを忘れたいと思うほどに、嫌になってしまったんだろう。
学校で私はどうやって過ごしていただろう。
高校でも同じクラスになった美和子と、他に仲のいい友達と、四人で過ごしていた。
美和子はバレー部に入って、もうひとりの友達もバレー部で、もうひとりは美術部だった。帰宅部は私だけだったけれど、図書室に残ってよく美和子が部活を終えるのを待って一緒に帰っていた。
お昼になればいつも四人で机をくっつけて一緒に食べていた。
なのに。
……私はいつからひとりになった?
ひとりきりの登下校に、机の上でひとり、グラウンドを見つめながら誰とも口を利かずに食べるお弁当の味。
なんで、そんな日々を過ごすようになったんだろう。
いやだ、思い出したくない。
だけど、思い出したい。
断片的に思い出す記憶と、抜け落ちてしまっている記憶が全くつながらないことに、不安を抱く。
自分の足許が、ぐらぐらと揺れる。
「おい」
「……っ」
がしっと肩を掴まれて、息がひゅ、と音を立てた。
霞む視界の先に、壱くんが不思議そうな、ほんの少し心配そうな視線で私を覗き込んでいる。
「どうした、急に」
「え、あ……ちょっと、こんがらがってきて……忘れたことが、忘れられなくて、だけど、思い出せなくて……」
「は?」
頭をに手を当てて、動揺している気持ちを落ち着かせようとしたけれど、余計にぐちゃぐちゃになって、自分がなにを言いたいのかもわからなくなってくる。
「帰るか?」
だけど、彼のその言葉の意味だけはハッキリと理解できた。
暫く黙ってから、ただ、無言で首を左右に振る。
帰れるはずがない。もう学校はサボってしまったし、連絡だって取れない。今更家に帰れるはずがない。それこそなんの意味もなくなってしまう。
嫌だ、そんなの。
「俺はどっちでもいいけど。お前、なんでそんなに頑張るのが好きなの?」
「そういうわけじゃ……」
「なんかずーっと頑張ってんじゃねえか。猫に対しても俺に対しても、学校サボることに対しても。疲れねえの?」
頑張ってる、つもりはない。だけど、頑張ってるの? じゃあどうして私は、記憶をなくして、こうして学校をサボってるんだろう。
私、頑張るのをやめようと思って、こうしてここにいるんじゃなかったっけ?
——『茉莉は、もっと頑張らなくちゃいけないでしょ』
わかってるよ。わかってる。
出来ることが少ないから、私には。
だから、出来ることがあるのならば、頑張らなくちゃいけないんだ。それしかできないから。もっと、もっと。
涙が溢れそうになってくる。それをじっと見つめる壱くんの視線を感じながらも、目を合わせることなく喉を強く締めて、歯を食いしばった。
「にんげんは、理由を見つけたがるんだな」
黒猫が、欠伸混じりにそう言った。