「壱がなにもしないのは、ただの怠け者だからだろう?」
「っわ!」


 突然足許から割って入るように猫が飛び出してきて、ベンチを揺らす。

急に出てきた黒い影に、バランスを大きく崩すとベンチがミシッと大きな音を出した。


「びっくりさせないでよ……! ベンチ壊れるじゃない」
「びっくりしたのはきみだろ? ぼくに関係ない」


 そうかもしれないけど。

 自分は関係ないと口にして、なおかつ態度もそんな感じの黒猫。どうやったらそんなにも堂々と自由気ままなままでいられるのだろう。

 本当に壊れてしまいそうなベンチで、そっと体勢を整える。僅かな動きでも不穏な音を出すベンチに、座っているのが落ち着かなくなってきた。


「で、なんの話をしてるんだ。いつまでもこんなところで怠けてていいのか?」
「なんの話って、お前わかって入ってきたんじゃねえのかよ。人のこと怠け者呼ばわりしやがって」
「怠け者だろう、きみは。ネズミを捕まえることが出来るのに、捕まえないでやってくるのを待ってるようなものさ」


 正しいような間違っているような例えに、私も壱くんも暫く無言で黒猫を見つめた。

 なんか違う気もするけれど、猫からすればそんな感じなのだろうか。


「ま、怠け者には違いないかもな」


 苦笑を零しながらそう答えて、乱暴に黒猫の頭を撫で回すと、猫は顔だけを嫌がる様子で後ろに引いていく。顔が身体に埋まっていく。


「頑張るとか無意味なことしたくねーもん、俺」
「思ってるだけでは、手に入らないけどね」


 壱くんの手から逃れて、黒猫が言った。

 ピタリと彼の手が宙で動きを止めて、かすかに、わずかに、力が込められた。その手からそっと、彼の顔に視線を移すと瞳が揺れているように見えた。


「……思ってることもねえよ。なるようになればいいと思ってる」


 それは、本心じゃないと、思った。


「にんげんは本当に本当に、ほんっとうに面倒だな」
「わかったようなこと言ってんじゃねえよ、猫のくせに」


 さっきよりも少し明るい声は、無理をしているように聞こえて、黒猫を強引に抱きかかえて身体を目一杯伸ばすように持ち上げるその行動も、今までの無気力そうな彼とは違って見えた。


「じゃあどうして、きみは彼女と一緒にこうして遠くまで行こうとしているんだ?」
「暇だから。お前みたいな珍しい猫もいるしな」


 今までそんなに口数の多くなかった彼が、やたらと饒舌だ。それは、もしかしてなにかをごまかしているのかもしれない。

 猫はそれを全部見透かしているように彼に言葉をぶつけていて、しゃべることももちろん不思議だけれど、それ以上に不思議に思えた。

 なんでも知っている猫みたいだ。