少し冷めてしまったココアを取り出して蓋をあける頃には、壱くんはお弁当を食べ終わっていて、紙パックのジュースを飲んでいた。それを見ながら一口つけると、口の中に甘ったるいココアの味が広がって、喉に何かがへばりつくようなしつこさに眉間にシワが寄る。

 ココアってこんな味だったかな。

 ココアが飲みたい、と思ったけれど、私が飲みたかったのはこれじゃない。温まるわけでもなく、無駄に喉が渇くほどに甘いそれを、もう一口飲もうと言う気持ちにはならなかった。


「お前、飯食わねえの?」
「あ、うん、買ってないし」


 私の返事に、壱くんは少し眉をひそめる。

 どうしてそんな顔をするのかわからずに首を傾げると、「ああ」とひとり納得したような声を発した。


「お前、人に合わせるタイプか」


 思わず、ココアの缶を落としそうになった。

 なんで、そんなことを言うの? そう聞きたいのに、声がうまく出ない。そして目の前の壱くんは、そんな私の様子はどうでもいいかのように勝手に納得して、話を終わらせてしまっている。

 紙パックを啜る音が、風の中微かに聞こえて、それが余計に、悔しく思えてしまった。

 私がその言葉を聞いて、どう思うか、なんてことを彼は考えていない。想像もしてない。どんな言葉を私が返したって、恐らく響かない。へえ、そうなんだ、とでも言って終わらせるだけ。


——『茉莉の意見はないの?』


 声が、頭のなかで響き始める。

 これは、誰の声? 聞きたくない思い出したくない。なのに、声が頭のなかで勝手に叫ぶ。


——『茉莉は、可愛げがないから』


 可愛げってなんだろう。かわいいってなんだろう。

 どうして? なんで? 言われたとおりに、言われた以上に、やろうと思っているのに、どうしてうまくいかないんだろう。


——『嘘つき!』


 だって! だって! 本当のことなんて言えないじゃない!


「言えば?」
「……っえ?」


 忘れたいと思ったのに、記憶が私の気持ちを乱す。

 奥歯を噛んで気持ちを抑えていると、さっきまでご飯を食べていたはずの黒猫が、私をじっと見つめて、そう言った。

 言えば、って、何を? 私、今何を考えていたっけ。何かを、言いたかった。そう思ったけれど、それがなにかはわからない。私でさえわからないこの気持ちを、知っているかのような口ぶりに、心臓が痛むほどに激しく伸縮する。


「違うなら言えば?」
「な、なにを?」


 問われる度に、胸が苦しくなる。変に動揺してしまって、少し大きな声が出てしまった。


「壱に言われた言葉に不満そうに見えたけど、人に合わせるっていうのはこういうことか。そのとおりだな」


 壱くんと違って、黒猫は私をじいっと見つめる。

 言葉に詰まる私を、わかっている。わかっていて見つめている。きっとこの黒猫は、私がなにを言っても耳を傾けるだろう。興味が有るのかないのかはさておき、聞いてくれるだろう。