私の記憶は一体どこに行ってしまったのだろう。
思い出せない今となっては、それが忘れたいほどのものだったのかはわからないけれど、あのとき、猫に問われたあの瞬間。私は自分でそれを望んだ。
そのせいで本当にきれいサッパリ、自分にとっていらないと思ったものだけがなくなっているなんて、不思議。だけど、実は元々そんなものなかったんじゃないかってくらい、思い出せない。
忘れたいと思ったのだから、思い出そうとするなんて、おかしな話だ。忘れてしまうと、それがなんだったのか気になるなんて、変なの。
「あなたが、私の記憶を操作、したの?」
前かごで小さく縮こまっている黒猫に話しかけると、猫は耳をピクピクっと動かしてから私に顔を向けた。
「きみが望んだからだろう? ぼくのせいじゃない」
あなたのせいだと思ってるわけじゃないけれど、気分を害した様子の彼に思わず「ごめん」と言ってしまった。
「忘れたかったことを忘れたんだから、それでいいじゃないか。きみはめんどくさい人間だな」
すごく、呆れられた、というか、バカにされたようなそんな言い方に、なにも言い返すことが出来ない。文句を言いたくても、猫の言っていることは正しい。そのとおりだ。
自分の、弱い部分や中途半端な部分を指定されたように思えて。恥ずかしいような、悔しいような、そんな気持ちになった。
自分で決めたことなのに、選んだことなのに。
猫と話していると、自分のみっともない部分が露見してしまいそうで、ぐっと唇を固く閉じて前を見つめる。黒猫がなにを考えているのかわからない眼差しを私に向けていたのに気づいていたけれど、無視して前だけを見つめていると、興味がなくなったかのように欠伸をして小さく丸まった。
猫にすら、興味を持たれない。
私は、誰の目にも映らない。
頭が、ズキズキする。胸が、ジクジクと痛む。視界が、揺れる。
——嫌だ、思い出したくない。
直感的にそう思った。それが、つまり意図的に忘れた記憶に関係している何かであることがわかる。
「ち」
「……え?」
顔を上げると、すぐそばにいた壱くんが私を振り返っていて、自分の口元を指していた。意味がわからなくて首を傾げると「ち、でてる」と言って、自分の口元に手を触れた。
ぬるりと何かが私の手に付いた感覚があって、確認すれば赤い血が付着している。それを見て、彼の言葉が〝血〟だったことにやっと気がついた。