「あなたが望むなら」


私は前に回り、床にひざまずく。握られた拳に手を添えると、葦原くんは歯を食いしばって激情に耐えていた。

同じ気持ちでいるなら、もう離れることは不幸ではない。
私の心に真の覚悟が芽生えた。
痛くて切なくて狂おしい、絶対的な覚悟が。


「わかった。逃げる。あなたの手の届かないところへ。姿も見えないところへ」


答えた言葉は、儚く夜に融ける。ゆらりと立ち上がると、悲しすぎて眩暈がした。


「さよなら、沙都子さん」


「葦原くん、さよなら」


これでいい。

私たちの気持ちは今この瞬間、確かに通じ合ったのだから。
それだけで私は、生きていける。

私は乱された服を直し、通勤鞄とながらく置き去りのボストン持った。彼からもらったものは置いていく。

何度も抱き合ったリビングと寝室を一瞥し、愛した男に背を向けた。


「大好きよ」


一言だけつぶやいた言葉が、彼の世界を少しでも明るくすればいい。
私はもう振り向かないから。