「沙都子」


不意に兄が静かな声で言った。


「おまえ、恋人ができたのか?」


え?
聞き返す声は軽く、冷えた夜空に消えた。
兄は私を見下ろし、何も映さない暗い瞳を向けている。


「俺を部屋に上げたがらないっていうのは、男が出入りする部屋だからだろう?それに、正月の旅行も、相手は男なんだろう?」


答えを逡巡することなく、私は頷いた。


「そう。付き合ってる人がいるの」


はっきりと言い切った。
頭に浮かんでいるのは表向きの恋人・葦原くんだ。


「おかしくないでしょ。私ももう30だし」


「結婚を考えてるのか?」


兄の問いは詰問口調だ。切羽詰まった様子の兄に、あえて笑顔で答える。


「彼の方が若いから。まだ、そんな具体的には話してないの」


ちょうど、私の住む縦長のマンションにたどり着く。

私は話を中断して、自室のカギを開ける。この瞬間は少し、緊張した。
一歩、中に入り、素早く振り向くと「ごめんなさい、待ってて」と兄を締め出した。
兄とドア一枚を隔てただけでだいぶほっとする