「待たせるかもしれないけど」


「そのくらいはいいさ。ほら、行こう」


兄はなぜか先に立って歩き出す。
私の部屋の住所は母しか知らない。大方、すでに母から聞き出し、下見してあるのだろう。

そんな兄の周到さを気味悪く思う。

歩きながら話すことは母の具合が悪いなんてことで、なんとか私を実家に戻そうという気持ちを感じた。
でも、私は母とも父とも電話している。
母の体調不良がちょっとした胃炎で、もうとっくに良くなっていることも知っている。

兄の言葉は大袈裟の度合いを超えている。方便でもない。
単純に『大嘘』の類だ。

歩きながら、私は極力兄に近づかないように、距離をとった。
兄は隙あらば、私の腰を抱こうと近づいてくる。

兄の愛情は異常だ。

兄はけして女性に好かれない容姿はしていない。
葦原くんと同じくらい背が高く、肩幅もがっしりとして顔立ちも端正だ。美丈夫という言葉がしっくりとくる。
何度か縁談が持ち上がったのも知っている。
しかし、兄は誰とも結婚しなかった。

女性との付き合いがゼロというわけではなさそうだ。しかし、私にだけ異常な執着を示してくる。

今でも思い出す。私が実家を出るきっかけになった出来事を。
私が悪夢にうなされる出来事を。