――遠藤真央の幼少期の記憶は、すべて病院でのものだった。


原因不明の難病と闘う少年。それを献身的に看病する母親と、治療費を稼ぐために仕事に励む父親。

傍から見れば、それはとても儚く感動的な構図だったのだろう。


外で遊ぶことはできないけれど、自分には母親がいてくれる。注がれる無償の愛を甘受しながら、彼は闘病生活を続けていた。

もうすぐ退院できると医師から告げられた日の夜に、決まって体調が悪くなって、入院期間が延びることも多々あったが、しょんぼりする彼を一番に励ましてくれるのは母親だった。


そんな生活ががらりと変わったのは、彼が八歳のとき。

母親が突然姿を消したのだった。


『まお、真央、気づかなくてごめんな……っ!』


いつも仕事で忙しかった父親が泣き叫ぶように謝って、真央のことを抱きしめた。

彼はそのとき、何が起きたのかあまり理解していなかった。


のちに、母親は代理ミュンヒハウゼン症候群という精神疾患であると診断されたことを知った。

身近にいる人間を病気に仕立て上げて、自分は献身的な看護者を装う病気。すなわち、難病とされていた真央の病気は母親によって演出されたものであった、ということだ。

あまりにも真央の入院が続くことを不思議に思った病院側が、真央の病室に監視カメラを設置したことで判明した事実だったそうだ。