陽は、どうして断られていたことをあたしに教えてくれなかったんだろう。
もしかしたら、陽のことだから、デートの予行演習に付き合ったあたしに申し訳ないとか思ったのかな。
まあ、それはいいとして、問題は天川さんだ。
どうして、急に陽とのデートを断ったんだろう。
一度はOKしてくれたのに、ドタキャンなんてひどすぎる。
陽の喜びも、楽しみも、頑張りも全部返して欲しい。
誰のために予行演習をあたしに頼んできて、わざわざ当日に着る服まで買ったと思ってるんだ。
「……むかつく、天川さん」
週が明け、月曜日になった今日でも、彼女に対する怒りが収まらない。
陽にあそこまで想われているのに、どうして。
陽の心に、あたしが入る隙間なんて1ミリもないぐらい。
それぐらい想われているのに、天川さんはどうして。
彼氏がいるなんて噂は聞いたことないし、それは陽の恋愛授業を引き受けた最初の頃に調査済みだから間違いない。
それに、陽のことを嫌っているようにも見えなかったから、考えれば考えるほど、天川さんがデートを断った理由がわからなかった。
……陽、遅いな。
隣の席を見るけど、そこにはまだ誰もいない。
いつもなら、陽はあたしよりも先に来ていて、1時間目の授業の準備をしているのに。
机の横にバッグもかかっていないし、今日はまだ、陽は登校している様子はなかった。
そのまま、朝のホームルームの時間となり、陽がいないまま出席が取られていく。
「有明は風邪で休みって連絡があったが、あとの奴は遅刻だなー」
陽以外にちらほらといない人達を遅刻と片付けて、先生は軽く連絡事項を伝えただけで教室を出て行った。
再び騒がしくなる教室。
空っぽのままの隣の席を見て、ため息が出てしまった。
「珍しいね、有明くんが休みなんて」
「ひゃわ!」
いつの間にか目の前にやってきていた星奈。
驚いて肩を跳ね上がらせたあたしに、「そんなにびっくりしなくても……」と苦笑して。
「もしかして、寂しい?有明くんがいなくて」
そんなことを聞いてきた。
いつもなら、別にと答えてかわすのだけど、風邪を引いた理由はすぐにわかる。
天川さんを雨の中待ち続けたから。
それがわかっているから、心配よりも面白くない気持ちのほうが勝ってて。
「……うん、つまんない」
気づけば、こう答えていた。
「……朔乃」
まさか素直に答えるとは思っていなかったのか、星奈は目を丸くする。
恥ずかしくなってそっぽを向いたけど、視線の端っこのほうで、星奈が優しく微笑んだのが見えた。
「あの朔乃が、今ではすっかり恋する乙女だねぇ」
「そんなんじゃないし……」
恥ずかしさからむすっと赤くなった頬を膨らませてしまうあたし。
それを星奈がケラケラと笑ったのと同時に、1時間目の授業の予鈴が鳴った。
1時間目の授業は古典。
延々と古文を読むだけの先生。
あたしは、先生が教科書から目を離さないのをいいことに、机の下で携帯を開いた。
メール作成画面に行き、宛先を陽にする。
【陽、大丈夫?】
体的にも、気持ち的にも。
本文にそう打ってはみたものの、大丈夫じゃないことはわかりきっているからやめた。
“天川さんはたまたま急用が出来ただけだよ。”
“デートに誘えただけで陽はすごかったよ。”
陽を褒める言葉や励ます言葉は、それなりに出てくるけど、なんだかどれもしっくりこない。
悩みに悩んだ末、あたしはシンプルな言葉だけを送ることにした。
【早く治して。
学校で待ってるから】
あっという間に放課後になった。
今日は、陽がいないから放課後残る必要もない。
「久しぶりに一緒に帰れるね!」
「うんっ」
嬉しそうに話す星奈。あたしも笑顔で頷く。
帰りに、駅前のケーキがあるカフェに寄ろうという話になった。
「……あ、ごめん。忘れ物」
玄関でローファーに履き替えようとした時に、体育着を教室に置きっぱなしにしていたことを思い出す。
これからしばらくは、体育祭の練習で毎日体育の授業があるから、持って帰って洗濯しなくちゃいけない。
「ごめん、星奈。取りに行ってくるから先に行ってて。すぐ追いつくから」
「はーい」
一旦星奈と別れて、あたしは教室へと走った。
パタパタと、自分のクラスの前まで来ると、教室の中を覗いている怪しげな男子生徒がいることに気づいた。
「……?」
誰だろう?
このクラスの人じやない。
他クラスの人だとしても、何の用だろう。
教室にはもう誰もいないのに、中に入ろうともせずに覗いてるだけなんて。
不思議に思いながら、あたしはその男子を横目に中へ入り、ロッカーに置いてあった体育着を手にした。
すると。
「も、もしかして、如月朔乃?」
突然、その不審な男子に話しかけられた。
「……そうだけど、誰ですか?」
あたしのことは有名だから知っているんだろうけど、あたしからしたら初対面なのに、いきなり呼び捨てとはどういう了見だ。
「俺は、7組の大宙レオ(おおひろ れお)」
「どうも……?」
そんなことを思っていたら自己紹介してくれた。
大宙くんは、なんというか、スポーツマンタイプっていうか、チャラチャラした雰囲気は一切ないけど整った顔立ちの人だった。
短めな髪が爽やかで、もさっとした陽とは大違い。
「で、大宙くんは、あたしに何か用ですか?」
さっき、如月朔乃かと声をかけられたので、教室を覗いてたのはあたしに用があったからなのかなと思った。
何だろう、告白という感じではなさそうだから、とりあえずホッとする。
でも、大宙くんの口から出た言葉は思いもしていなかった言葉だった。
「あんたでしょ?有明陽の恋を応援してる奴ってのは」
予想外の質問の内容に、あたしはしばらく目を白黒させる。
口を開けたまま答えないあたしに痺れを切らして、大宙くんが「違うのか?なんか言えよっ」と、慌て始めたのであたしは首を横に振る。
「確かにあたしだけど、何で知ってるの?」
「このクラスに仲良い奴がいるから、それで聞いて……」
「そうなんだ」
さすがに端のクラスの7組にまで、あたしと陽の関係が広まっていたら、天川さんにバレるのも時間の問題だ。
でも、そうじゃないみたいだから、ひとまずよかった。
「有明が天川のこと好きなのは何となく気づいてたけど、最近有明が積極的になったのって、裏であんたが糸引いてるからなんだろ?」
“天川”って、呼び捨てにしてる人は、初めて見たかもしれない。
他の男子は、高嶺の花だとかなんとか言って、いつも“天川さん”って呼んでるのに。
もしかしたら、この人……天川さんと結構親しい間柄?
「何で、そんなことわざわざ聞くの?」
あえて、質問を質問で返した。
なわとなく、女のカンがこう言っていた。
「大宙くん、もしかして天川さんのこと好きなの?」
別に天川さんのことがどうでもいい相手なら、誰がどうやって天川さんに近づこうと関係ないはず。
でも、わざわざここまで来て、あたしのことまで突き止めて、こんなこと聞いてくるなんて変。
案の定、大宙くんはみるみるうちに顔を真っ赤にさせた。
「べっ、別にそんなんじゃねーけど!」
「その顔でよく言えるね」
すぐに笑顔で突っ込むと、「ぐっ……」と唇を噛んで押し黙る大宙くん。
あたしの中で、大宙くん=陽のライバル、という式が確立した。
「と、とにかく!天川は俺のだから手ぇ出すな!」
「付き合ってるの?」
「まだだけど!将来そうなる予定なの!」
おお、なかなか自信たっぷりな物言い。
陽に足りないのは、こういうところだと思う。
でも……。
「何で、それを陽じゃなくてあたしに言うの?」
陽に堂々と真正面から言ってやったほうが手っ取り早いのに。
正直、陽の性格なら、そのほうがひるむような気がする。
それなのになんでだろう。
大宙くんは、あたしの問いに少し切なそうな顔をして、目線を下に落とした。
「あいつにもそのうち直接言うつもりだけど、天川を好きになる気持ちはわかるから、あんまりドロドロ争ったりしたくねぇ……っていうか」
陽の気持ちも自分と同じで、よくわかるから、だから陽と争うようなことはしたくない。
それでも、天川さんのことは譲れないから、あたしにそれとなく陽に天川さんを諦めさせるようにしてくれ。
大宙くんが、今日あたしのところにやって来たのは、そういうワケがあったからだった。
「……俺、一年生の時、有明と一緒のクラスで。地味だけど、いい奴だって知ってるから。傷つけたくねーんだ」
大宙くん……。
知ってるよ、陽のいいところなんて、数え切れないほどたくさん。
傷つけたくないっていう気持ちも、よくわかる。
でも、あたしがそのお願いを受け入れることはできない。
「ごめん、大宙くん。あたしにそれはできない」
あたしは、大宙くんの目をまっすぐに見据えて、はっきりと言った。
「だって、そんなの、陽には勝ち目がないって言ってるようなものだから」
応援すると決めたあたしが、“先生”であるあたしが、「陽は負けちゃうから今の内に諦めなさい」なんて。
そんなこと言えない。言っちゃいけない。
「大宙くんの自信も相当なものだけど、あたしはそれ以上に陽のほうが結ばれる自信あるから!」
ニッと歯を出して笑って見せると、大宙くんは悔しそうに少しムッと頬を膨らませる。
「有明には、とんでもなく心強い味方がいるんだな」
それから、困ったように頭をガシガシと掻き回す大宙くん。
「でも、俺だって絶対負けねーよ」
受けて立つ、そう言い残して。
大宙くんは、どこか楽しそうないたずらっ子みたいな笑顔を浮かべて、教室をあとにした。
「こっちだって負けないわよ。ね、陽」
誰もいない陽の席に向かって、ひとりでそうつぶやく。
陽のほうが結ばれる自信は確かにある。
今だって見てる限りだと結構いい雰囲気だと思うし、デートは断られてしまったかもしれないけど、きっとやむを得ない用事があったんだと思う。
何より、陽の天川さんへの想いが強くてまっすぐだ。
嘘とか偽善なんかじゃなくて、本当に、心からそう思っている。
だから……。
今にも泣き出してしまいそうなほどに、心が痛い。