「……わたしねえ、もうすぐ彼と結婚して家を出るの」
白い泡にまみれながらふたりでじゃぶじゃぶ洗い物をしていると、ふと、綾さんが小さな声で話し始めた。その左手の薬指が泡のあいだで遠慮がちに輝いた。
「だからちょっとヘタレな弟のことが心配だったんだけど、最近彼女ができたって聞いて、もう本当に安心して。きょう晶ちゃんに会ってもっと安心したんだよ」
「そんな、あたしなんて……」
耀いわく、暴力的で口の悪い、サイテーな女らしいのですが。先輩に釣り合う女子にはまだまだ程遠い。
「ううん、美味しそうにご飯食べてくれた顔が素敵だった。こりゃ健悟も好きになるわってね」
「ええ……」
「ほんとだよ。あいつね、たぶん、相当晶ちゃんのこと好きだと思う。大切にしてるっていうのかな。はじめて彼女のこと連れてきてくれたんだもん。いままでの子は何回連れてこいって言っても連れてこなかったのに!」
スポンジを動かしているはずの右手が、気付けば止まっていた。
元カノの存在を知ったからじゃない。いくらなんでもあたしだってそこまで面倒な女じゃない。
ただ、嬉しかった。あたしは先輩にちゃんと想われているのかもしれないって、お姉さんにそう言われると、ちょっと信憑性があるじゃん。
だって、こんなにも好きでしょうがないのはきっとあたしだけだって。心のどこかではそう思っていたんだ。一種の諦めかもしれない。それでもいい、先輩と付き合えているだけで奇跡だって。
でも。
「晶ちゃん。ほんっとーにダメな弟だけど、健悟のこと、よろしくね。大切にしてあげてほしい」
離れたくないって、はじめて思った。
傍にいたい。引き止めてほしい。あたしはたぶん、先輩が引き止めてくれたら、東京になんか行かないだろうと思う。
甘い砂糖菓子を舌の上で転がしているような。そんな、ふわふわしていただけの先輩への気持ちが、いま身体全体に沁みわたって、やっと現実味を帯び始めたような気がする。
同時に彼と離れることへの恐怖を感じて、きれいに笑ってくれた綾さんに、上手く笑い返すことができなかった。