たまたまマンションで賢とばったり会った夜。雅人の家で遊んでいて今から帰るところだという賢は、ひどく苦しそうな顔をしていた。おまけにわたしと軽く挨拶しただけで逃げるように背を向けた。

 そのとき、賢は足を滑らせた。

「大丈夫?」

 足を再び痛めてしまったらしい賢に肩を貸して、とりあえず椅子のある公園まで連れてきた。
 蒸し暑い日で、空気がじっとりとわたしたちを包み込んでいた。

「だせえ」
「……そんなことないよ。怪我してるんだから仕方ないじゃん」
「怪我したことが、だよ」

 いつもよりも声のトーンが暗い賢を、そのままにしておけなかった。
 表情は険しくて、ずっと唇を噛んでいる。

「なんで、怪我してんだよ」

 絞り出された声は、震えていた。

 顔を片手で隠しながら、悔しそうにもう片方の手を固く握る。頬を伝う雫が、月の光を反射させていて、わたしは思わず目をそらした。見ちゃいけないものを見てしまった気がした。

 よく考えればわかることだった。

 賢は誰よりも真面目に部活に励んでいた。誰よりも楽しそうにサッカーをしていた。最後の試合を楽しみにしていたのを聞いていた。なのに、不慮の事故で出場できなくなった。それが、悔しくないわけがない。気丈に振る舞っていただけなのだ。

「オレの方見るなよ」

 涙声で賢が言う。

 見えるはずもないのに、わたしは声に出さずにただこくこくと頷いた。いつの間にか、わたしは賢の固い拳に手を重ねていた。

 賢の涙が早く乾きますように。涙を流したことで、少しでも苦痛が払拭されますように。そう願いながら。

 あのとき、わたしは不思議なことに、賢に笑ってほしい、とは思わなかった。

 ただ、そばにいてあげたいと思ったし、泣いているあいだは思い切り泣いてほしいと思った。

 そして泣き終わった賢と、他愛のない話をした。別れ際の賢は、スッキリした顔で笑った。

「泣きたくねえって思ってたけど、悪くないな」
「よかった」
「悪いな、付き合わせて」

 おぼつかない足取りで、賢が帰っていく。その背中を見送っていると、彼が振り返って「美輝は、泣かなかったんだっけ」と言った。なんのことなのか一瞬わからなかったけれど、泣くのを我慢した日はそう多くない。直感的に、雅人から約束を交わした日のことを聞いたのだろうと思った。

「オレだったら、無理矢理にでも泣かせてあげたのに」

 そう言って、じゃあな、と賢はてをひらひらとさせて帰っていった。