力なく笑ってから、雅人はグラスを手にして一口飲んで喉を潤した。そして、グラスの中のお茶を見つめながら、ぽつりと呟く。

「でも、けんかしたんだ」
「え?」
「終業式の日、ちょっと微妙な空気になってたんだ」

 服をぎゅっと握りしめて、震える声で言葉にした。

「あのまま、別れることにならなくて――本当によかった」

 雅人の瞳は潤んでいた。だけど、笑っていた。それは、今まで見たどの笑顔よりも、慈愛に満ちていて、幸福感が溢れていて、だからこそとても切なくて、抱き締めたくなるほどだった。

 わたしまで泣いてしまいそうになるけれど、その理由は自分でも見つけることができない。



「わり、おかんから電話だった」

 しんと静まっていた部屋の空気を、賢のあっけらかんとした口調が一変させた。

 黙りこくっているわたしたちを交互にみやって「なに」と首をかしげる。その姿に「ふは」とこらえきれなくなって吹き出した。

 雅人も笑いだして、その後は穏やかに時間を過ごした。最近休んでいるサッカー部のことや、夏休みの宿題のこと。まだまだ夏休みはあるのだから、みんなでどこかに行くのもいいね、と話し合ったりもした。最後の出かける話は、町田さん次第ではあるけれど、話しているだけで気分が上がってくる。

 今は、それでいいのかもしれない。

 日がすっかり沈んだ八時過ぎに、雅人のおばさんがひょっこりと顔を出してわたしたちに晩ごはんはいるかと聞いてきた。

「あー、家にごはんあるみたいなんで、オレは帰ります」

 時間を確認した賢が、そういって腰を上げた。

 おばさんは残念そうにしていたけれど、わたしも今日は帰ろうと賢と一緒に立ち上がる。雅人と一緒にいたい気持ちもあるけれど、まだ少し疲れは残っているだろう。ゆっくり休んでほしい。

 玄関で靴を履いたところで、「美輝」と雅人がわたしを引き止めた。

「美輝の……お父さんのことはわからないけど、俺は、そばにいるから。それは変わらないよ」

 嘘つきだね、賢は。

 そんな言葉がつい溢れてしまいそうになったけれど、喉をごくりと鳴らして飲み込んだ。

「ありがと」

 思ってもいない言葉を口にして、雅人の顔を見ることなくそのままドアの外に出た。